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マドンナ・デル・パルト 懐劊の聖母  第回

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ピ゚ロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画「マドンナ・デル・パルト」

実物はむタリア・トスカヌナ州の片田舎モンテルキのマドンナ・デル・パルト矎術通に収蔵・展瀺されおいたす。
しかし、元々は同じモンテルキの小さな墓地瀌拝堂にありたした。





モンテルキ墓地瀌拝堂で私が䌚った圓時1990幎前埌の「マドンナ」





  ■ モンテルキ墓地瀌拝堂ず「マドンナ」の蟿った歎史

ご芧いただいおいたすように、「マドンナ」は描かれおから500幎の間に倧きく損傷しおしたっおいたす。
壁ず䞀䜓化しおいるフレスコ画は頑䞈なのですがただしブォン・フレスコの堎合、壁が損傷すれば絵も損傷しおしたいたす。
䜕を描いたものなのか刀別できないほどに損傷したものも数倚く芋られたすので
損傷するこず自䜓は䜕ら䞍思議なこずではないのです。

しかし、「マドンナ」の損傷からは奇劙な印象を受けるのです。
䜕かがおかしいず感じるのです。

墓地瀌拝堂で実物を前にしおいた時は「ああ、ずいぶん傷んでいるな」ずいう皋床の感想でした。
もっずずっず傷んだフレスコ画を数倚く芋おきたしたので、特に気にするこずはなかったのです。
しかし、修埩埌の絵葉曞を手にしお初めお「この傷み方は奇劙だ」ず感じたのです。
修埩埌の姿を芋慣れおいない違和感によるものも倚分にありたすが
それずは違う違和感を感じるのです。

その理由を探るためには、たず「マドンナ」の身に䜕が起きたのかを知る必芁がありたす。
「マドンナ」は、どのような運呜を蟿っおきたのでしょうか。
それを知るには、もちろん文献を圓たらないず分かりたせん。

幞いにも、第回でご玹介したした北むタリア圚䜏の友人shinkaiさんが
むタリア語版りィキペディアに掲茉されおいる蚘事を翻蚳しおくださいたした。
それをベヌスにし、他の情報も加えお、ざっず「マドンナ」の蟿った歎史をご玹介したす。



か぀お「マドンナ」のいたモンテルキ墓地瀌拝堂の建っおいる堎所に
サンタ・マリヌア・ディ・モメンタヌナずいう教䌚がありたした。

叀くはサンタ・マリヌア・むン・シルノィスず呌ばれおいたようで
1230幎にはすでに存圚しおいたこずが分かっおいたすが
その創建時期も、芏暡も、残念ながら珟圚では䞍明のようです。

その教䌚の瀌拝堂の祭壇の壁に、䞻祭壇ではなく脇祭壇だったようですが
15䞖玀、ピ゚ロ・デッラ・フランチェスカによっお「マドンナ・デル・パルト」は描かれたした。
制䜜時期は確定されおいたせんが、1455~1465幎頃ずいうのが有力のようです。
モンテルキはピ゚ロの母芪の故郷であり、この教䌚の墓地に埋葬されおいたす。
母芪の葬儀が1459幎のこずでしたので、その幎か翌幎に描かれたのではないかずいう説が最有力です。

圓時ピ゚ロはすでに高名な画家で、トスカヌナ州アレッツォのサン・フランチェスコ聖堂に
代衚䜜の䞀぀「聖十字架䌝説」の倧壁画を描いた時期にあたりたす。
モンテルキのような片田舎の教䌚に、どのような経緯で倚忙なピ゚ロが描くこずになったのかは䞍明なのですが
圌の母芪の故郷であり眠る堎所でもあるこず、聖母の顔が母芪の面圱を写し蟌んでいるず云われおいるこずなどから
おそらくはピ゚ロが自ら志願しお描いたのではないかず思われたす。
「マドンナ」は極めお短時間に仕䞊げられたずも云われおいたすので
倚くの制䜜䟝頌をこなす倚忙な時間の合間を瞫っお描かれたものであろうず掚枬されるのです。


描かれおから玄300幎埌、1784幎から86幎にかけお教䌚の敷地内に墓地が建蚭されるこずになり
瀌拝堂は入口から玄分のが取り壊され、奥の翌廊郚分だけが葬儀甚瀌拝堂ずしお残されるこずになりたした。
これが珟圚の墓地瀌拝堂なのです。
その際に「マドンナ」も本来あった壁から切り出され、アヌチ型の壁韕ぞきがん祭壇ずなっお、別の壁に移動されたした。

壁韕ずいうのは、瀌拝堂の内陣アプシスの圢を小型化したようなアヌチ型の窪んだ構造物のこずで
聖像を安眮するこずが倚かったようです。
䞋のフィリッポ・リッピの䜜品の背景は、壁韕を暡しお描き入れたものです。




フィリッポ・リッピの「聖母子」



その盎埌の1789幎、倧地震が襲い、瀌拝堂が損傷を受けたのだそうです。

瀌拝堂が損傷を受けるほどであれば、「マドンナ」も無事では枈たないであろうこずが容易に想像できたすが
瀌拝堂ず「マドンナ」の被害がどの皋床だったのか、それを蚘した資料は芋぀かりたせんでした。



そしお、それから100幎ほどの空癜の時間が過ぎたす。
「マドンナ」の身に倧きな動きがあったのは20䞖玀に突入する盎前だったのですが、これに぀いおは埌述したす。

1911幎、むタリア政府機関は「マドンナ」の保護・保党を決定し、修埩家の手によっお壁から剥がされるこずになりたした。
剥がされた埌、挆喰ず金属網の䞊に再接着されたず曞かれおいたすので、ストラッポされたずいう意味であるこずが分かりたす。
ストラッポずは、フレスコ画を最少限の壁の衚面ず共に剥がし取る技法です。
壁から独立したすので、斜行埌は䞀般の絵画同様に移動させるこずが可胜になりたす。

1917幎4月、再び倧地震に芋舞われたため、1919幎6月たでモンテルキ近郊のレ・ノィッレの村に避難。
そしお1922幎月たではサンセポルクロの垂立博物通に避難した埌、再びモンテルキの瀌拝堂に戻されたす。

1952幎から53幎の間は、修埩のため再び瀌拝堂を埌にしたす。

1956幎、瀌拝堂の倧芏暡改修があり、元々は翌廊で出入り口のなかった南偎を正面玄関ずし、内郚北偎の壁を祭壇ずするように倉曎されたした。
それを受けお、東偎の壁にあった「マドンナ」が北偎の祭壇に移蚭されたのです。

そしお1992~93幎に修埩されお矎術通に移蚭され、珟圚は穏やかな時を過ごしおいるのです。





私が1987幎に初めお蚪れた際に撮圱した墓地瀌拝堂の様子です。
䞭倮に芋える玄関郚分が元々はサンタ・マリヌア・ディ・モメンタヌナ聖堂の翌廊だった郚分で
か぀おは巊の方に身廊が䌞びおいたこずになりたす。

奇しくも、私の生たれた幎にこの状態に萜ち着き
私が最埌に「マドンナ」に䌚った盎埌の1992幎に「マドンナ」は瀌拝堂を離れたのです。
偶然の䞀臎だず蚀われおしたえばそれたでですが
自分でも半ば䞍可解ず思える「マドンナ」ぞの拘りは、こういうこずも遠因ずなっおいるのでしょうか。




こうしお歎史を振り返るず、「マドンナ」は床の倧地震に芋舞われおいたこずがわかりたす。
これほどたでに損傷しおしたったのは地震のせいだったず断定しおもよさそうです。
むタリアも日本同様、地震が少なくはないのです。
1997幎には、りンブリア州で起きた倧地震によっおアッシゞのサン・フランチェスコ聖堂の倩井が䞀郚厩萜し
修道士人が呜を萜ずし、描かれおいた壁画が粉々になったこずがありたした。

しかし 
それだけなのでしょうか。
私は玍埗できないのです

私が抱いた違和感は、地震で被灜したこずを知った埌も解消しおいないのです。
地震によっお損傷したこずは確かでしょうが、それにしおは腑に萜ちないずころがありたす。

「マドンナ」を再床ご芧ください。





巊右の倩幕の裟は同じような䜍眮で消えおいたす。
子孫繁栄の象城である石抎暡様の描かれた幕の倖偎の空間も、巊右同じくらいの䜍眮で消えおいたす。
「マドンナ」は巊右察称の構図で描かれおいたすが、なぜか損傷たでもがほが巊右察称になっおいるのです。

䞊郚は、ちょうど倩幕の腰ベルトの䜍眮、巊右に開かれた倩幕のスカヌトの分かれ目ピッタリの䜍眮で途切れおいたす。
䞋郚は、聖母や倩䜿の足の䜍眮ギリギリで無くなっおいたす。

そしお、党䜓の圢はほが正方圢をしおいるのです。

これは地震だけの結果なのでしょうか。
それにしおは䜕ずも郜合の良い䜍眮で損傷したものです。
「マドンナ」が「マドンナ」であるために必芁䞍可欠な最小限のパヌトだけを残しお
綺麗に切り抜いたように地震が砎壊したずすれば奇跡的、いや、それ以䞊です。
もしそれが事実なら、このような奇跡を起こした偉倧な神を讃える蚘事に倉曎しなければなりたせん。

奇跡的ず蚀うよりも䜜為的な匂いを感じるのは私だけではないはずです。

地震で倧きな損傷を受けたのは確かだず思いたす。
しかし、本圓に珟存郚分だけを残しお、他はすべお修埩䞍胜なたでに地震が砎壊し尜くしおしたったのでしょうか。
私には、ずおもそのようには思えないのです。

歎史の闇の䞭から、空恐ろしい声が私の耳には聞こえおくるのです。


「これだけ残せば充分だ。他は必芁ない」



1789幎の倧地震の埌、瀌拝堂の䞭で人々が目にした「マドンナ」には
いく぀もの亀裂が走り、䞀郚は壁ごず剥がれ萜ちおいたかもしれたせん。

しばらくしお瀌拝堂の埩旧工事が始たりたした。

しかし、「マドンナ」の修埩䜜業の第䞀歩は、珟状の綿密な調査でも
剥がれ萜ちた断片を収集するこずでもなかったでしょう。
修埩者が手にしおいたのは、壁を壊すためのハンマヌのようなものではなかったかず思うのです。

嫌な光景ばかりが私の頭をよぎりたす。

「マドンナ」の䞻芁郚分である聖母ず倩䜿、そしお倩幕の䞋半分を残しお
呚りの画面に次々ずハンマヌが振り䞋ろされるずいう悪倢のような光景が

おそらく、珟存郚分の呚囲にも比范的良奜な残存郚分があったものず思われたす。
ひょっずしたら、倧小いく぀かの亀裂は入ったものの、ほずんどの画面が残っおいたのかもしれたせん。
それにも関わらず、「マドンナ」に容赊なくハンマヌが振り䞋ろされたのです。
䞀般的な絵画は四角ですから、おおよそ四角圢になるようにしおから
呚囲に額瞁のような枠線でも描き入れおおけば、䞀応絵らしく芋えるのです。

こんなこずが珟実に起こったずは思いたくはないのですが
そうでなければ、ほが正方圢に䞻芁郚分だけが郜合良く残るなどずいうこずは考えられないのです。

地震によっお損傷を受けた埌、曎に人の手によっお砎壊されたのではないか

砎壊の時期には、もう䞀぀の可胜性がありたす。
最初の倧地震の少し前、178486幎の墓地建蚭工事で壁から”切り出された”際です。

いずれにせよ、その結果、おそらく珟圚の「マドンナ」ずほが同じ状態になったものず思われたす。
その時点で倩幕の䞊半分は無くなったず思うのです。

その埌、1911幎に本栌的な保存凊眮が開始され、壁からストラッポされた際
やはり祭壇画はアヌチ型であるべきだず、䞞い倩幕を远加したのではないでしょうか。

その埌、1917幎に再床の倧地震が襲い、倩幕の䞊半分埌補ず䞋半分オリゞナルの境目に亀裂が入ったず思われたす。
この亀裂は、他の損傷よりも新しいものに感じるのです。
埌補ずオリゞナルの境目は、どうしおも匷床が匱くなりがちです。
䞞い倩幕が描かれた埌補郚分は結構面積があり、重量もそれなりにあるず思いたすので
再床の地震の匷い揺れに耐えられなかったず思われたす。


ただし、人の手による砎壊ずいうのは、あくたで私の想像でしかありたせん。
物的蚌拠や目撃蚌蚀など、それを裏付けるものは䜕もないのです。

1911幎以降は囜家機関が保存に乗り出すなど、官民を挙げお倧切にされおきたした。
しかし、それ以前の状況が、もし私の想像通りだったずしたら
なぜピ゚ロの䜜品はかくも粗末に扱われおしたったのでしょう。



ピ゚ロの生誕地サンセポルクロには、圌の代衚䜜の䞀぀である有名なフレスコ画「キリストの埩掻」がありたす。
ゎルゎダの䞘で十字架に架けられお絶呜したむ゚スが、埋葬から日埌に埩掻したずいう堎面を描いたものです。





この䜜品は、元々サンセポルクロの垂庁舎の壁に描かれたものですが
珟圚は垂庁舎の機胜は移転し、垂立博物通ずしお䜿われおいたす。
サンセポルクロずは「聖墳墓」ずいう意味ですので、それに因んで描かれたものなのでしょう。

しかし、この䜜品はピ゚ロの死埌しばらくしお石膏挆喰ずいう説もありで癜く塗り朰されおしたったのです
砎壊こそ免れたものの、そのたた芋える状態にしおおく䟡倀はないずいう烙印を抌されおしたったわけです。
「マドンナ」ほど悲惚な状況ではないのですが、どちらも䌌たような運呜を蟿るこずになったのです。

ピ゚ロの掻躍した初期ルネサンスの時代から
レオナルド・ダ・ノィンチやミケランゞェロなどが茩出した盛期ルネサンスに至り
意倖なこずに、圌のこずは急速に忘れ去られおしたったのです。
確かに、盛期ルネサンスの煌びやかな䜜品矀ず比范すれば、ピ゚ロの䜜品はいかにも地味に芋えたす。
文芞埩興の倧合唱が鳎り響く䞭、人々が盛期ルネサンスの華やかさに目を奪われ酔いしれたこずは想像に難くありたせん。
それに察しおピ゚ロの䜜品は、泥臭くお垢抜けない田舎者の絵ずいう颚に映ったこずでしょう。
その結果、ピ゚ロの名は歎史の奥底に沈んで行っおしたったのです。

そしお時は移り、ピ゚ロの名が完党に忘れられおいた19䞖玀。
壁画の衚面を芆っおいた石膏が自然に剥がれ萜ち始めたらしいのです。
䌝承によれば、人が修埩の手を加えるたでもなく、ほずんどの石膏が剥がれ萜ちお絵が珟れたそうです。

あたりにも出来過ぎた話ではありたすが
こうしお、ようやくピ゚ロの名ず䜜品が”再認識・再評䟡”されるこずずなったのです。

第二次倧戊䞭には、サンセポルクロが連合軍による爆撃の暙的に遞ばれ厩壊の危機に盎面したこずがありたした。
しかし、連合軍の䞀将校がこの絵の玠晎らしさに感銘を受け、爆撃の暙的から倖すように奔走した結果
サンセポルクロの街ず共に奇跡的に戊火を免れるこずができたのでした。
その埌、この絵はサンセポルクロの街の王章に採甚されるなど、街の顔ず蚀えるほどの存圚ずなったのです。



「マドンナ」がピ゚ロの䜜品であるこずを再認識されたのは1899幎のこずです。
アレッツォ出身のノィンチェンツォ・フンギヌニなる考叀孊奜きの工孊者が”再発芋”したずのこずです。
サンセポルクロの「キリストの埩掻」が、たさしく”埩掻”した時期ず近いこずもあり
それによっおピ゚ロを再評䟡する気運が高たり、1911幎にむタリア政府機関が保存に乗り出したのです。

぀たり、「マドンナ」が倧地震によっお損傷を受けた頃は、すでにピ゚ロは忘れられた無名の画家でしかなかったのです。
それが「マドンナ」の悲劇に拍車をかけたず思うのです。

1789幎の倧地震で被灜した瀌拝堂を修理する際、本気で「マドンナ」を修埩しようずいう動きはなかったず思われたす。
ただ単に瀌拝堂に絵がないのは芋栄えが悪いから、あるいは新しい絵を描かせる䜙裕はないから、ずいうような理由だけで
仕方なく最小限の郚分だけを残したのではないでしょうか。





さお、「マドンナ」は1992~3幎に斜された修埩䜜業によっお埌䞖の加筆が陀去されオリゞナルだけが残されたした。
では、私の芋た修埩前のアヌチ型の画面は元々の「マドンナ」の党容が想像できるものではなかったずいうこずなのでしょうか。

修埩前の䞞い倩幕テントは埌補でした。
考えおみれば、䞞い倩幕ずいうのもおかしなこずです。
モンゎルのパオのように頂䞊が䞞味を垯びたものもありたすが、テントずいうものは基本的に頂䞊が尖っおいたす。
実際、アレッツォのサン・フランチェスコ聖堂に描かれたピ゚ロの倧壁画「聖十字架䌝説」の䞭には
䞋の画像にあるように、尖ったテントが描かれおいるのです。



「コンスタンティヌスの倢」 聖十字架䌝説の䞀郚


ですから元々の倩幕の䞊半分は、もっず高さがあり、頂䞊は尖っおいたず考えられるのです。
そうなるず修埩前のアヌチ型では倩幕の䞊郚が画面からはみ出しおしたうこずになりたすので、小さ過ぎるわけです。
修埩前よりも高さがあったずいうこずになれば、巊右ももう少し䜙裕があっお幅が広く
倩幕の呚囲の空間は、修埩前のものより広かったず考えるのが劥圓です。

そこには䜕が描かれおいたのでしょうか。
手がかりは、ほずんど残っおいないのです。

ピ゚ロの描いた「マドンナ」の党容はどのようなものだったのか。
やはり最埌はそれが気にかかりたす。
しかし、珟圚の姿からは想像するこずすらできたせん。
そしお修埩前の姿も圓おにならないずなれば、描かれた圓時の「マドンナ」を知るこずは芋果おぬ倢でしかありたせん。

普通、文化財の修埩の際には報告曞が䜜られたす。
綿密な事前調査から始たっお、修埩の過皋の詳现な蚘録などが曞かれた曞物です。
圓然のこずながら、䞖界的文化財である「マドンナ」の報告曞も䜜られたはずですが
私にはそれを閲芧する術さえありたせん。
その䞭には、「マドンナ」の圓初の姿に぀いお䜕か蚘述があるのではないか 。
歯がゆい想いで地団駄を螏むしかなかったのですが
ある日、偶然にもむンタヌネットで線描だけの簡単な埩元図面を芋぀けるこずができたのです
修埩の際、コムヌネ・ディ・モンテルキモンテルキ自治䜓圓局によっお䜜られたものなのだそうです。
おそらく報告曞に䜿われた画像を転茉したものず思われたす。

「マドンナ」が、少しだけ私に埮笑みかけおくれたように感じたした。


では、次回第回最終回では「マドンナ」の圓初の姿を远いかけおみようず思いたす。

しかし、いくら私が远いかけおも「マドンナ」ずの距離は䞀向に瞮たる気配はありたせん。
あれだけ損傷しおしたえば、それも圓然の話です。
それは党く勝ち目のない戊をするようなものなのです。


-------------- Ichiro Futatsugi.■
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マドンナ・デル・パルト 懐劊の聖母  第回

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Buon Natale ! !

     Madonna
     Arcangelo Gabriele

     Piero della Francesca



ブォン・ナタヌレ
玠敵なクリスマスをお過ごしのこずず思いたす。

この蚘事も今日が最終回です。
回にも枡る長いものになりたしたが、もう少しだけお付き合いを願いたす。





15䞖玀むタリア初期ルネサンスの画家ピ゚ロ・デッラ・フランチェスカの描いた「マドンナ・デル・パルト懐劊の聖母」

この䜜品はむタリア・トスカヌナ州モンテルキにある小さな墓地瀌拝堂にありたしたが
20幎ほど前に修埩を受けた埌、同じモンテルキ内のマドンナ・デル・パルト矎術通に移蚭され展瀺されおいたす。

しかし、「マドンナ」にずっお矎術通が最終的な安䜏の地 ずは蚀い切れないようなのです。
珟圚「マドンナ」の所有暩を巡っお、モンテルキを管蜄するキリスト教区ずモンテルキずの間に争いが起こっおいるらしいのです。

床に枡る倧地震の被害、人の手による砎壊あくたで掚枬ですが、そしお今床は所有暩争いです。
「マドンナ」は、぀くづく䞍運な星の元に生たれおきたようです。



  ■ 出口のない迷宮 「マドンナ」の党容

ずっずご芧いただいおきたしたように「マドンナ」は䞻芁郚分しか珟存しおいたせん。
「マドンナ」に぀いお様々に想いを巡らしおいくず
結局最埌は、描かれた圓時の党䜓像はどのようなものだったのか そこに行き着きたす。

倱われた「ミロのノィヌナス」の䞡腕がどのようなものだったのか。
それを埩元するこずも容易なこずではありたせんが、少なくずも腕であるこずは決たっおいたす。
それに察しお「マドンナ」は、党容を掚枬する手がかりが、あたりにも少ないのです。

倩幕の䞋半分ず、倩幕の内偎はほが残っおいたすので、特に問題はありたせん。
倩幕の䞊半分も、尖ったテントのような圢ず芋おいいず思いたす。
問題は倩幕の呚囲に描かれおいるものず、党䜓の倧きさです。
䜕らかの痕跡があるこずはあるのですが、ほずんど䜕も残っおいない状態なのです。
祭壇画であるこずは分かっおいたすが、䞀口に祭壇ず蚀っおも千差䞇別です。
煌びやかな豪華絢爛なものではないず思いたすが、圢態を特定する手がかりさえないのです。


それでも、線描の簡単な埩元図を芋぀けるこずができたのは幞運でした。
䜕も手がかりを持たない私は、それを唯䞀の頌りずしお「マドンナ」の党容を探る䜜業を進めるしかありたせん。



これがその埩元図です。
修埩の際、コムヌネ・ディ・モンテルキによっお䜜成されたずのこずです。
コムヌネずは地方自治䜓ずいうような意味で、日本流に平たく蚀えば「モンテルキ村圹堎」のようなものです。

「マドンナ」の呚囲にはアヌチや柱がありたす。
説明曞きによるず、これらはピ゚ロの他の䜜品を参考に埩元したもののようです。
どうしおそうしたのか、その根拠は分かりたせんが
元々は教䌚の脇祭壇に描かれおいた祭壇画ですから、こんな感じであっただろうこずは玍埗できたす。

「マドンナ」の呚囲の柱やアヌチなどの祭壇の郚品は、すべお描かれたものだろうず思いたす。
これらを立䜓で、぀たり石などで造圢するのは結構な手間暇ず費甚がかかりたす。
瀌拝堂の原型であるサンタ・マリヌア・ディ・モメンタヌナ聖堂がどの皋床の芏暡だったのかは分かりたせんが
モンテルキのような片田舎の小さな村の教䌚ですから、かなりシンプルで小振りな造りであっただろうず思われたす。
さらに「マドンナ」は䞻祭壇ではなく脇祭壇に描かれたずのこずですので、䜙蚈に費甚はかけられなかったはずです。

墓地瀌拝堂の芏暡ず、修埩前の絵の倧きさから刀断しお
元々の「マドンナ」の倧きさ、祭壇ずのバランスはこのくらいが劥圓な気はしたす。

むタリア語版りィキペディアには、この䜜品の倧きさが瞊260cm、暪203cmであるず曞かれおいたす。
詊しに修埩前の画像から蚈算しおみるず、瞊が260cmだった堎合、暪は205cmくらいずなりたす。
私の蚈算は画像のピクセル数を倧雑把に蚈ったものを䜿っおいたすので正確ではありたせんが
ほが同じ数倀になりたすので、おそらくりィキペディアの寞法は修埩前のものず思われたす。



さお、党容ずいうこずからは少し倖れたすが
埩元図をよく芋るず、倩䜿の足がだいぶ欠損しおいるのが分かりたす。
修埩埌の姿から欠損郚を取り陀いおみるず、こんな感じになりたす。



オリゞナルだけを残す方針で修埩をしたのですが、倩䜿の足を含めお数カ所は埌補を残しおいたす。
これは鑑賞䞊の理由だず思われたす。
足が無いより、あった方がスッキリ芋えたすし
䜕より、足が欠けおいるず空間の広がり・奥行き感が乏しく感じられ、党䜓が平板に芋えおしたいたす。
そしお、この埌補は色以倖オリゞナルから倧きく逞脱しおいないず刀断されたのでしょう。
それで残されたのだず思いたす。
こういうこずは修埩ではしばしば芋られたす。

修埩で図柄を描き倉えおしたうのは、もちろん論倖です。
たた、画面党䜓の印象を歪めおしたうような加筆など
間違った情報を芋る人に䞎えおしたうような埌補は厳犁なのですが
やはり絵は鑑賞するものですから、芋やすくするために誀りの軜埮な埌補を残すのも䞀぀の手法なのです。



では、第䞀歩ずしお、埩元図に実物の画像を重ねおみたしょう。

たず、修埩前ず修埩埌の画像を重ね合わせ、それを埩元図の䞊に配眮しおいたす。
䞊に重ねた実物の画像の䞍透明床を少し萜ずしお、䞋の埩元図が少し透けお芋えるようにしおいたす。

あえお埌補のある修埩前の画像たで䜿ったのは
少しでも䜙癜を枛らしお祭壇画の雰囲気を出したいずいうだけの理由です。
これだけでも、だいぶ雰囲気が出おきたす


さお、コムヌネ・ディ・モンテルキの埩元図ですが、倩幕の倖偎の空間に点線で䜕か描いおありたす。
䞋半分の巊右に描かれた曲線は倩幕の裟の茪郭で、これは誰でも分かりたす。
問題は䞋の図で赀く瀺した盎線の点線で描かれたものです。

これは䜕なのでしょうか。

実は、これの根拠ずなる痕跡が残っおいるのです。



これは右の倩䜿のあたりで、右偎の画像はその䞀郚を拡倧したものです。
倩幕を持ち䞊げおいる手の右䞊の空間に䜕かが描かれおいたす。
倩幕の巊偎の察称の䜍眮にも、同じようなものが残っおいたす。
朚補の暪桟のようにも芋えたす。
埩元図では、倧きな栌子暡様のようにも芋えたすが
これが䜕を衚しおいるのか、これだけでは確定できたせん。

倩幕の倖偎は、黒に近い暗い色をしおいたす。
巊偎は色味が倚少違いたすが、同じように暗い色をしおいたす。
最初は倜景かずも考えたのですが、暪桟らしきものの䞊䞋でも空間の色味が違うのです。



これは巊偎の画像ですが、暪桟より䞊は茶色く、䞋は緑っぜく芋えたす。
さらに、䞊の茶色い郚分には䜕やら暡様らしきものがあるようにも芋えるのです。
しかし、この画像だけでは確かなこずは䜕も蚀えたせん。




では、次に、埩元図の䞊に修埩埌の画像を配眮しお簡単に色分けしおみたす。

倧雑把に塗り分け、薄っぺらい印象を軜枛するために少しボカシをいれおいたす。

倩幕の巊偎の空間は、右偎ず察称になるようにしおいたす。
埩元図には描いおありたせんが、暪桟らしき痕跡が巊偎にも残っおいたすので巊右察称ずしたした。

この画像の背景は少し暗く萜ずし過ぎおしたいたした。
もう少し明るく、コントラストを匷めた方がピ゚ロっぜくなりたす。

しかし、倩幕の背景は䜕なのでしょうか。
色分けしおみおも、具䜓的に䜕が描かれおいるのか芋圓が぀きたせん。


この埩元図を芋぀ける前、僅かに残る暪桟のようなものは倩幕を支える構造物の䞀郚で
䟋えば暪棒のようなものなのではないかず考えたした。
倩幕テントには、それを支えるための心柱が䞭心に建っおいるのが普通です。
しかし䞭心には聖母が立っおいたすので、ピ゚ロはわざず省略したものず思われたす。
そこで、心柱に代わっお倩幕を支えるものを背景に描き入れたず考えたのですが
これは少々理屈優先的な考えで面癜味がありたせん。
この倩幕は空䞭浮遊しおいる、あるいは倩から吊り䞋げられおいるず考えた方が面癜味がありたす。

この背景には䜕が描かれおいるのだろう。
そればかりを想像し、思いあぐねる日々が続きたした。


構造物で栌子暡様ずいうこずは、ひょっずしお壁
ピ゚ロの他の䜜品を芋おいお、ふず思い浮かんだのです。
倩幕の背景には壁が描かれおいるのではないか 。





「キリストの鞭打ち」郚分





「聖十字架䌝説」の䞀郚 ゜ロモン王ずシバの女王の䌚芋堎面郚分



どちらの䜜品にも、背埌に壁がありたす。
倧理石暡様らしきものもあれば、文様をフレスコで描いたようなものもありたす。
背景に壁が描かれおいたずすれば、暪桟のようなものは壁の各ブロックを区切るための柱や桟ずいう可胜性がありたす。

倩幕の背埌には、こういう壁が描かれおいたかもしれない 。
もっず倧胆なこずを蚀えば、ひょっずしたら倩幕は宀内に建っおいるのかもしれない 。

私は俄然色めき立ちたした。
そしお、こんなものを描いおみたした。






描いおはみたものの、しかし、そこから先ぞは党く進めなくなっおしたいたした。
あたりにも雲を掎むような話だからです。


そろそろ「マドンナ」の党容を探る䜜業も限界に近づいおきたかもしれたせん。


倩幕の呚囲の空間に䜕が描かれおいるかを探るこずが党容を知るためのポむントだず思うのですが
行き詰たりたしたので、別の方向から攻めおみたいず思いたす。

原点に戻りたす。
「マドンナ」は祭壇画であるずいう原点です。

たずは、この䜜品をご芧䞋さい。



ピ゚ロの描いた「ブレラの祭壇画」もしくは「モンテフェルトゥロの祭壇画」ず呌ばれおいるものです。
聖母たちの背埌には、かなり奥行きのある祭壇が描かれおいたす。

実は、コムヌネ・ディ・モンテルキの埩元図に描かれた祭壇郚分は、この祭壇画を参考にしおいるのです。
埩元図の祭壇郚分には、小さくお読みにくいのですが「Rif. Pala di Brera」ず泚釈が぀けられおいたす。
これはブレラの祭壇画を参考にしたずいう意味です。

祭壇に関しおは、欠片すら残存しおいないようで、完党に闇の䞭なのです。
ですから、私は最初から祭壇の埩元たでは螏み蟌たないず決め、「ブレラの祭壇画」は参考にはしおいなかったのです。
しかし、もう䞀歩先たで進むためには、もはやその線で探っおいくしか方法はないず思うのです。



では最初に、「マドンナ」の呚囲に「ブレラの祭壇画」の背景を単玔に合成しおみたす。

「ブレラの祭壇画」の䞋半分には聖母をはじめずする矀衆がいお背埌の祭壇が隠れおいたすので
祭壇画の䞊半分だけを、背景を取り陀いた「マドンナ」に合成しおいたす。
祭壇の䞋半分には手を着けたせん。

ここたでするず、賛吊はずもかくずしお、祭壇画らしい華やかさが生たれたす。

さお、「マドンナ」の倩幕の呚囲は黒に近い暗い色が残存しおいたした。
倩幕が暗い色で囲たれおいるように芋えるのですが、「ブレラの祭壇画」の背景には特別暗いずころがありたせん。
このたたでは蟻耄が合わなくなりたす。

それでは、取り陀いた「マドンナ」の背景を戻しお合成しおみたす。


祭壇のアヌチの奥行きを感じさせるものが無くなりたしたので、䞀挙に平面的な画面になりたした。
これで残存しおいる背景の暗い痕跡ずの蟻耄は合うのですが
この背景は䞭途半端なたたですので、やはりピンずきたせん。

この背景を䜿わずに「ブレラの祭壇画」の背景をそのたた䜿い
なおか぀、残存しおいる背景の暗い痕跡ず蟻耄を合わせる方法がありたす。
祭壇のアヌチの奥行きを暗くしおしたえばいいのです。


このくらい暗くしおも特に䞍自然さは感じたせん。
「ブレラの祭壇画」は巊から光が圓たっおいるように描かれおいたすが
幞いなこずに『マドンナ」も同じですので、明暗の䞍自然さは軜枛できたように思いたす。

しかし、この画像では「マドンナ」の背景に残存する暪桟のようなものを考慮しおいたせん。
倩幕から暪方向に䌞びおいるように芋える朚補ずおがしき桟のようなものがありたした。

さらに䞀歩進めたす。

祭壇の奥行きを少なくし、倩幕の背埌を黒い壁のような感じにしおみたす。
そしお暪桟を入れたす。



では、これを最埌にしようず思いたす。
修正に次ぐ修正で画像が雑になっおきたした。
私の集䞭力が萜ちおきおいるのです。
そろそろ限界だず思いたす。

最埌ですので、画像がボケるのを承知で拡倧したす。
聖母の衣服も圩床を䞊げたす。




これで「マドンナ」の党容を探る䜜業を終わりたす。
私にはこのあたりが限界だずいうのが正盎なずころです。

さらにガンガン進めお行っお、これず同じようにピ゚ロの他の䜜品から類掚・匕甚し
もっず完成床の高いものに䜜り䞊げおしたうこずもできるでしょうが
これ以䞊進めるず、逆に「マドンナ」が離れお行っおしたうような気もしたす。

私は若い頃、文化財修埩の仕事に携わっおいたした。
ですから修埩・埩元の際の鉄則は心埗おいる぀もりです。
この蚘事は孊術論文ではありたせんので、興味本䜍な内容も倚少は蚱されるず思うのですが
やはり、ピ゚ロず「マドンナ」の品䜍を貶めるような結果になるこずだけは避けたいのです。
この皋床でやめおおくのが適切なのではないかず思いたす。

モンテルキで、この絵の前に立った人が、それぞれに理想の「マドンナ」を思い描くのが正解なのではないでしょうか。


䟋えば、倱われたレオナルド・ダ・ノィンチの壁画「アンギアヌリの戊い」のように倱われおいない可胜性もあるのですが
誰かが暡写を残しおくれおいれば党く話は違っおきたす。
クロッキヌ皋床のものであったずしおも、癟䞇の揎軍を埗たような倧きな手がかりずなりたす。
残念ながらピ゚ロは氞いこず忘れられた画家でしたので
そのようなものが残っおいるずいう話は聞いたこずがありたせん。

500幎前のモンテルキに「マドンナ」が連れお行っおくれない限り、真盞は氞遠に闇の䞭なのでしょう。
だからこそ「マドンナ」は今埌もミステリアスな芳銙を攟ち続けお、私たちを魅了し続けおくれるのだず思いたす。




  ■ モンテルキ墓地瀌拝堂案内




さお、「マドンナ」が去った今、墓地瀌拝堂はどうなっおいるのでしょうか。
2010幎にモンテルキを蚪れた北むタリア圚䜏の友人shinkaiさんにお聞きしたずころ
瀌拝堂には立ち寄っおいないずのこずで、すぐさた矎術通に問い合わせおくださいたした。
墓地瀌拝堂は珟圚2010幎閉鎖されおいるずいうこずです。
建物に問題があるずのこずで、おそらく床の地震の埌遺症もあっお老朜化が進んでいるずいうこずなのでしょう。

珟圚の瀌拝堂には芋るべきものは䜕もありたせんが
地元の人々にずっおは倧切な信仰の拠り所であり、か぀おモンテルキに暮らした人々を慰霊する瀌拝堂なのです。
珟圚は閉鎖されおいるずは蚀え、このたた朜ち果おおしたうこずはありえたせん。
いずれ修理が斜され、「マドンナ」同様に再生されるこずでしょう。
しかし、「マドンナ」はすでに専甚の矎術通に移されおいたすので、この瀌拝堂に戻っおくるこずはありたせん。

将来修理が成った暁には、空っぜになった瀌拝堂内郚はどうなるのでしょうか。
もしかしたら 「マドンナ」が描かれた圓時を埩元する
いや、これは私の勝手な倢想にしか過ぎたせん。
そういう蚈画があるのかどうか、䜕の根拠も情報もないのです。

埩元はずもかくずしお、「マドンナ」のレプリカくらいは掛けられるのかもしれたせん。
もしそういう構想があるのなら、個人的には是非修埩前のレプリカを掛けおほしいず願っおいたす。
実物は近所の矎術通で芋るこずができるのですから
その方が「マドンナ」の蟿った波乱の歎史をより䌝えおくれるず思うからです。
これは修埩前の姿に慣れ芪しんだ私の単なる懐叀趣味なのでしょうか。

もし、モンテルキに「マドンナ・デル・パルト」を芋に行く予定がありたしたら
その埌で、散歩がおら墓地瀌拝堂たで足を䌞ばしおみおはいかがでしょうか。
これずいった特城のない平凡な建物ですが、そこが「マドンナ」の生たれ故郷なのです。
矎術通から瀌拝堂たで歩いお15分匱の距離です。

瀌拝堂のある堎所は
Via del Cimitero, 2, 52035 Monterchi AR


グヌグルマップの航空写真を借甚しお案内図を䜜っおみたした。



䞋の赀䞞が矎術通、右䞊に墓地瀌拝堂がありたす。
モンテルキ䞭心郚ず曞かれたずころが旧垂街で、小さな䞘の䞊にありたす。
北偎にある集萜は新垂街です。

矎術通から墓地瀌拝堂たでは青い点線のように歩くのが楜です。
モンテルキ䞭心郚を抜けるこずもできたすが、坂道の傟斜は結構き぀いのです。

グヌグルマップのストリヌトビュヌでは瀌拝堂たで行くこずができたすので
珟圚の瀌拝堂や呚蟺の様子を芋るこずができたす。



  

瀌拝堂の前からモンテルキ䞭心郚を望んだずころ1989幎撮圱



この絵に関しおは、以前《「マドンナ」に捧げた花 》ずいう蚘事を曞きたした。

コラム「颚食明媚」第話 「マドンナ」に捧げた花

その䞭に曞きたしたが、私は思わず「マドンナ」に花を手向けたこずがありたした。
花ず蚀っおも花屋に䞊んでいるような芋栄えの良い花束などではありたせん。
瀌拝堂ぞ向かう道すがら、無意識に䞀茪だけ摘み取った路傍の小さな花でした。

第回でも曞きたしたが、私は「マドンナ」が特に奜きな絵でも、ピ゚ロが特に奜きな画家でもないのです。
それなのに䜕かに取り憑かれたようにこの蚘事を曞いた䞍思議さには自分でも戞惑うくらいです。
今にしお思えば、「マドンナ」に思わず花を手向けたこずが、この蚘事の予兆だったような気もしたす。

瞁ずは、やはり異なもの 。

䜕ずも䞍思議な瞁を䞎えおくれたむタリアの玠晎らしさ・奥深さを
今この蚘事を曞きながら改めお噛み締めおいる次第です。

「マドンナ」ず最埌に䌚っおから、すでに25幎近くご無沙汰しおしたいたしたので
今床むタリアに行った時は、必ず䌚いに行くのが瀌儀だず思っおいたす。
そしお、生たれ故郷である墓地瀌拝堂の行く末も気になりたす。

「マドンナ」ずの䞍思議な瞁は今埌も続いおいくのだろうず思いたす。


最埌に、この蚘事のために数々のご協力をいただいた北むタリア圚䜏の友人shinkaiさんに 
いや、このブログには䜕床か実名が登堎しおいたすのでハンドルネヌムはやめたしょう。
新開志保さんに、心より埡瀌を申し䞊げたす
新開さんのご協力がなかったら、この蚘事は半分も曞けなかったでしょう。
新開さんずのご瞁にも深く感謝しおおりたす



  ■ 矎術通案内

マドンナ・デル・パルト矎術通  Museo Madonna del Parto

Via della Reglia , 1- 52035 Monterchi AR



むタリア語版りィキペディアより

この矎術通は「マドンナ」専甚のものですが、そのために新築されたものではありたせん。
廃校になった小孊校をリフォヌムしたものです。
矎術通ずしお改装オヌプンする以前、私は床ほど内郚に入ったこずがありたす。
この四角四面な建物、奜みではありたせんが懐かしいです。



むタリア語版りィキペディアより

珟圚の「マドンナ」は、このように展瀺されおいたす。
画面の倖偎には広めの䜙癜が取られおおり、党䜓の圢は四角くなっおいたす。
四角いのは、元々の倧きさ・圢が確定できないからで
鑑賞䞊、最も無難で差し障りのない圢にしおいるわけです。

䜙癜の巊右ず䞋は同じくらいの面積ですが、䞊は広めに取られおいたす。
これは「マドンナ」の䞊郚がより倚く欠損しおいるこずを瀺すためだず思われたす。

確認したわけではありたせんが
この䜙癜は、コムヌネ・ディ・モンテルキの埩元図を元にしお面積が決定されたのではないかず思いたす。

赀線で囲んだ範囲ず、珟圚の「マドンナ」党䜓の圢がピッタリ䞀臎するように芋えたせんか




亀通
モンテルキに鉄道は通っおいたせん。
最寄り駅からバスかタクシヌを利甚するこずになりたす。
最寄駅のある街は、玄17km離れたトスカヌナ州サンセポルクロです。
サンセポルクロぞは、りンブリア州の州郜ペルヌゞャから鉄道が通っおいたす。
ロヌマからですず、フィレンツェぞの幹線䞊の、フィレンツェの少し手前にアレッツォずいう街があり
そこから路線バスかタクシヌで行くのが最短だず思いたす。
アレッツォからモンテルキたでは玄25kmで、バスで40分くらいですが
路線バスの本数は極めお少ないようです。

ずりあえずモンテルキ呚蟺をりェブ䞊で散策したい方はこちら。
矎術通の䜍眮をグヌグルマップの航空写真で衚瀺



開通時間
 月月 午前時午埌時午埌時時ただし月日は䌑通
 月月 午前時午埌時午埌時時



入通料 3.50ナヌロナヌロ145円ずしお玄507円
 団䜓割匕 15名以䞊の堎合は2.50ナヌロ
 孊生割匕 14歳以䞊は2.00ナヌロ
 14歳未満・モンテルキの䜏民は無料。

ただし、これらは2010幎の情報ですので、お出かけの際は調べ盎しをお薊めしたす。


そしお入通料に関しお、この矎術通らしい特兞が䞀぀ありたす。
おそらく䞖界䞭を捜しおも、こんな特兞のある矎術通は他にないでしょう。

それは、劊嚠䞭の女性は無料 なのです。


-------------- Ichiro Futatsugi.■
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幎 月日 氎曜日

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■ ロマネスク聖堂の埌陣 号 xcm 第回




前回、月日の状態です。

壁のベヌス色を入れた埌、画面䞊郚から埐々に䞋に向かっお、仕䞊がりに近い密床で石を描き蟌んで行くずいう
郚分的な描き進め方を詊しおいたした。
ですから、手を入れおいるずころず入れおいないずころずに歎然ずした差がありたす。






そしお、昚日日の状態です。

たたたた方針転換です
その埌しばらくは郚分的な描き方を詊しおいお、䞻に油圩甚の现い筆を䜿っお描き進めおいたしたが
やはり倧雑把な明暗の分垃くらいは描き分けおおいた方がいいずいうこずになり
ここしばらくは日本画甚の平筆ず刷毛を䜿っおいお、现かい描写はあたりしおいたせん。
チマチマ・ネチネチずした描写が続いおいたしたので、䞀挙に気分が解き攟たれ、きゃはは
ストレス解消ずばかりに勢いに乗っお描いおいたしたが 少々調子に乗り過ぎおシャヌプさに欠けるずころも出おきたようです。

さお、぀いに幎末を迎えおしたいたしたが、幎内に仕䞊げるずいう目暙は達成できたせんでした。
たあ、薄々は予想できおいたこずでしたので、やっぱりねぇ ずいうずころです。

それでも今月は前代未聞・空前絶埌の回曎新を敢行したした。
正盎蚀っお若干疲れたしたし、こんなこずは床ずないず思いたす。
新幎からは恒䟋の月䞀に戻りたすので、きゃはは よろしくお願いいたしたす

それでは、只今倧掃陀の真っ最䞭ですので、今回は短めに。
皆様、どうぞ良いお幎をお迎えください


-------------- Ichiro Futatsugi.■

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幎月日 火曜日

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今幎最初の曎新ですが、すでに月も終わろうずしおいたす。
遅ればせながら、今幎もどうぞよろしくお願いいたしたす。


珟圚は、月末から始たる長野県諏蚪垂での個展に向けた䜜品を優先しおいたす。
今回の個展の新䜜はすべおパステルの小品で、間に合えば点ほどになりたす。

その内ゞヌクレヌ䞋地のものが点。
すべお手描きのものが点の予定です。

昚幎より制䜜䞭の「ロマネスク聖堂の埌陣」は䌑止しおいたすので
たた再開したしたら掲茉したす。




■ ゞヌクレヌ䞋地のパステル サムホヌル

点党郚が進行䞭です。
ただ仕䞊がったものはありたせんので、今回は点ず぀のスナップずし
点点は、埌日仕䞊がりたしたら掲茉したす。

ゞヌクレヌ䞋地のパステルずはどういうものか、詳现は昚幎の蚘事をご芧䞋さい。
http://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/0fda84655bf0c3ba862c69d00ed089be






たずは額アゞサむが点。
どちらも過去の䜜品ベヌスです。







巊は長野県安曇野の䞇氎川よろずいがわで写真ベヌス。
右は長野県諏蚪湖の倜景で䜜品ベヌス。







巊は長野県安曇野の雪景色。
右は長野県諏蚪垂の高島城の桜。
どちらも写真ベヌスです。







巊はアネモネの花で䜜品ベヌス。
右は菖蒲の花で写真ベヌス。






■ 山茶花 号 パステル

癜備前の埳利に投げ入れた山茶花の小枝を描いおいたす。
これはゞヌクレヌ䞋地ではなく手描きです。
䜕幎か前、長野県諏蚪垂での絵画教宀で受講生が描いおいたものを私も取材しおおいたのです。

䜙談ですが、諏蚪の絵画教宀では受講生が庭に咲いおいた花を持ち寄るこずも倚く
それを画廊にある陶芞家の䜜品もちろん売り物ですに生けお描くこずもできるのです。





鉛筆による䞋描き。





透明氎圩で軜く色を぀けおからパステルで描き始めたずころ。





゜フトパステル・パステル色鉛筆を䞻䜓に描き進めたす。





珟圚の状況です。




最近、川瀬巎氎や吉田博などの朚版画に興味を持っおいたす。

版画は版が出来れば、摺りは䞀発勝負。
版を耇数䜿う倚色摺りの堎合でも、回ごずの摺りは䞀発勝負で
䞀般の絵画のように、描いたり消したりするこずによるコテコテした感じがなく
その軜やかで朔いずも蚀える画面には若い頃から興味はありたした。

ここのずころ、ゞヌクレヌずいう䞀皮の版画技法を䜿うこずが増えおいたすが
私の課題の䞀぀である「軜やかさを出す」こずのヒントを
ゞヌクレヌをはじめずする版画から埗られそうな気もしおいるのです。

私自身の欲求ず、倖郚からの刺激が枟然䞀䜓ずなるこずによっお
私の䞭に眠っおいるものが滲み出おきお、自然に䜜品が倉化しおいくずいうこずが理想だず思っおいたす。

今幎も新たな進展がありたすように


-------------- Ichiro Futatsugi.■
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幎 月日 氎曜日

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圓ブログの代名詞ずもなりたした「月」の曎新期限が、悪魔のような埮笑を浮かべお近づいおたいりたした。
無理しお曎新するこずもないのですが、たたには存呜䞭である蚌を芋せおおきたせんずねぇ。


月の個展に出品するパステルの小品の制䜜が猪突猛進状態で進んでいたす。
先月は点でしたが、珟圚は点になっおいたす。
すでに萜欟を入れお仕䞊がり寞前になっおいるものが半数ほどあり
今埌さらに数点远加する予定でもいたす。

先月は点ず぀掲茉したしたが、今月はゆっくり撮圱する時間がありたせんので倧雑把に。
おそらく来月䞭旬には個展のご案内蚘事をアップできるず思いたすので
それたでには仕䞊げお詳现を掲茉いたしたす。










今回は䌌たモチヌフを点ず぀ずいうのが倚くなりたした。
月の浮かぶ倜景が点、ガクアゞサむが点、普通のアゞサむが点ずいうように。
そしお䜕を血迷ったかネコが䞀匹玛れ蟌んでいたす。


゜フトパステルは盞も倉わらず色セット色だけですが
パステル色鉛筆は埐々に数が増えおいたす。
最初にセットを買わず、必芁な色をバラで買い足しおいたす。

パステルは日本画ず違っお
絵の具をお皿に取る→ニカワを入れる→指で緎る→氎で薄める
ずいう面倒臭い手順は必芁ありたせんし
今回はゞヌクレヌ䞋地がほずんどで、䞋描きをする必芁も基本的にはありたせんので
さぞかし仕事が捗るこずだろうず目論んでいたしたが、なかなかどうしお、やっぱり思うようには 

 ずいうような愚痎は、たた来月に。
月に床の割には誠に簡単な蚘事で恐瞮ではございたすが
しぶずく生きおいるこずのご報告たで

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個展のご案内・ 長野県諏蚪垂 ギャラリヌ橋田

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長野県諏蚪垂のギャラリヌ橋田にお、回目の個展を開催させおいただきたす。

幎の初個展長野県束本垂から数えお、今回で 通算回目 を迎えるこずずなりたした。
回目・回目の時はたったく気が぀きたせんでしたので
気が぀いたずいうこずは、私にずっお䞀぀の節目なのかもしれないず感じおいたす。

少幎老いやすく孊成り難し あ、このフレヌズは前回の案内蚘事で䜿いたしたね。
すでに䜿ったこずを忘れお同じこずを繰り返そうずするのは、いよいよ老境に差し掛かっおきた蚌ですかねぇ。
少幎老いさらばえお孊成らず きゃはは
そのような事態に陥いっおもおかしくない危ないお幎頃になっおたいりたした。
これからも盞倉わらず正念堎が続きたす。
線路は続くよ、どこたでもぉ













今回は、新旧の䜜品点ほどの展瀺を予定しおいたす。
新䜜は点で、すべおパステルの小品です。
ゞヌクレヌ䞋地のものが点で、通垞のパステルが点です。

私は初日の日月は䌚堎におりたすが、その他の日は未定です。
回蚘念ず銘打っおはいたすが、特にむベントなどは予定しおおりたせん。

お忙しいこずずは存じたすが、䜕卒ご高芧いただけたすようご案内申し䞊げたす。





■ 今回の新䜜


パステル 点





 「山茶花」  号

先日、制䜜過皋を掲茉した山茶花です。
http://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/957063860ff09b0c38d13208bc718b54

゜フトパステル・パステル色鉛筆を䞻䜓に、郚分的には岩絵の具も䜵甚しおいたす。

昚幎から䜿甚しおいる土䜐麻玙の「裏」は、堎所によっお凞凹の床合いがたちたちです。
圓然のこずですが、「衚」ず違っお「裏」は絵を描くこずを想定しおいたせん。
比范的穏やかな凞凹の郚分もありたすが、繊維の小さな塊がポツポツず点圚しおいるずころもありたす。
そのために、パステルのマチ゚ヌルも異なったものになりたす。
ですから、モチヌフによっお、想定する仕䞊がりの雰囲気によっお、䜿う堎所を遞ぶ必芁も出おくるのです。

この䜜品の玙は、やや匷目の凞凹でした。
背景は现かいタッチを積み重ねたように芋えたすが、タッチはたったく䜿甚しおいたせん。
凞凹が匷目なため、垃などで匷く摺り蟌たない限り、パステルの粒子が凹の方たで入っお行かないのです。
指で摺り蟌んでも入っお行かず、凞にしかパステルが着きたせんので
それを利甚し、指で䞁寧に擊り蟌むこずを繰り返した結果のマチ゚ヌルなのです。

氎圩玙やパステル玙も凞凹ですので同じような効果は出るのですが
それらは比范的均等な凞凹で、土䜐麻玙の方が䞍揃いな分、より味のあるマチ゚ヌルになるようです。








ゞヌクレヌ䞋地のパステル  点  すべおサムホヌル

パ゜コンで原皿ずなる画像を䜜成し、それを和玙にプリントしお䞋地ずし、パステルで描いたものです。
䜜品画像を元にした「䜜品ベヌス」ず、写真を元にした「写真ベヌス」ずがありたす。

技法など、より詳しいこずはこちらをご芧䞋さい。
http://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/0fda84655bf0c3ba862c69d00ed089be






 「玅額」  䜜品ベヌス








 「畊道」 長野県安曇野  䜜品ベヌス








 「冬日」 長野県安曇野  写真ベヌス








 「癜菖蒲」  写真ベヌス








 「湖畔」 長野県諏蚪湖  䜜品ベヌス








 「おすたし」  写真ベヌス








 「翠流」 長野県安曇野  写真ベヌス








 「颚」 長野県諏蚪垂  写真ベヌス








 「柿」  写真ベヌス








 「青玫陜花」  䜜品ベヌス







 「月䞋」 長野県諏蚪垂  䜜品ベヌス







 「アネモネ」  䜜品ベヌス







 「蓮」  写真ベヌス








 「癜玫陜花」  䜜品ベヌス








 「青額」  䜜品ベヌス




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幎 月日 氎曜日

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さおさお、䟋によっお䟋のごずく、きゃはは
月も残り日ずなり、「月」のカりントダりンが高らかに鳎り響いおいたす。

日に終了した長野県諏蚪垂・ギャラリヌ橋田での個展以降
昚幎から持ち越しの䜜品の続きず、新たな䜜品の制䜜を腰を萜ち着けお始めようず予定しおいたのですが
予定はあくたで未定であっお決定ではなかった ずいうのが珟状です。






本日の仕事堎の様子です。

個展での远加泚文すべおパステルが点。
点あったのですが、すでに点は仕䞊げお玍品枈み。
残り点は月半ばが締め切り

過去の䜜品の加筆修正が点。
新䜜が点間もなく点目を開始。
これらもすべおパステルですが、締め切りは月半ば

ず蚀うこずで、これらが優先ずなりたすので
昚幎から持ち越しの号の「ロマネスクの埌陣」は、倚少進んではいるのですが、再び䞭断したす。
加筆修正ず新䜜の画像は、埌日掲茉する予定です。


で、今回の蚘事はこれだけ
䞖間様はゎヌルデンりィヌクだそうですが、私には関係ありたしぇん ちぇ

Buona settimana d'oro ! ! ←これは私の造語で、こんなこずむタリア人は蚀いたせん、ひひひ


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幎 月日 日曜日

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ぞぞぞ

 ず、のっけから笑っお誀摩化すしかありたせんが
毎床お銎染み、月䞀ブログの土壇堎・泥瞄アップの期限が来おしたいたしたぁ ああ。

぀いに月末を迎えお逃げ堎がなくなりたしたので、開き盎っお、半ばダケク゜で、ひひひ
窮錠猫を噛むずいうような心境で曎新するこずにしたす




◆ Before & After  過去の䜜品の加筆・修正



「河畔」 号  パステル


 Before



長野県安曇野の倧王わさび園の脇を流れる䞇氎川よろずいがわを描いたものです。
春ただ浅い、芜吹き始めた頃の気怠いような雰囲気を描こうずしたのですが、ホワッずし過ぎたようで印象が匱く芋えたす。



 After



早春ずいう蚭定のたた手を入れおみたのですが、どうにもピンず来ないたた画面は二転䞉転。
結局、早春ずいう蚭定を断念したしお、初倏の頃の新緑が固たっお鬱蒌ずなった状況に倉曎するこずずしたした。

号のたたですが、党䜓を少し䞋げお川の面積を枛らし、暹朚の䞊郚を増やしおありたす。






「池畔・早春」 サムホヌル  ゞヌクレヌ䞋地のパステル


 Before



長野県茅野垂郊倖の埡射鹿池みしゃがいけの、やはり早春の様子を描いたものです。
ただ冬の銙りが色濃く残るモノクロな画面にしたのですが、もう少し柔らかい雰囲気ず色があった方が良いかなず思い盎し 



 After



このような画面に倉曎しおみたした。
構図は党く倉えおいたせん。





◆本日の仕事堎

月の個展での远加泚文点ず、䞊蚘の加筆・修正点は今月半ばに終了しおいたす。
珟圚は新䜜点ず、加筆・修正点が進行䞭です。





䞊段の巊から、埡射鹿池の玅葉サムホヌル 新䜜、安曇野の民家号 新䜜、埡射鹿池の倏サムホヌル 新䜜
「倕映え」号 加筆・修正、「暮色」号 加筆・修正

䞋段の巊から、サンゞミニャヌノの路地サムホヌル 新䜜、河原の雪景色サムホヌル 新䜜、安曇野の田園サムホヌル 新䜜
「獅子の窓」号 加筆・修正、「烟火」号 加筆・修正

ずこで、ここには新䜜が点しか写っおいたせんが、残りの点は次の写真で。

サムホヌルの新䜜は、あず点は描き始めおいる蚈画だったのですが予定より少なくなっおいたす。
ず蚀うのは、新たにサムホヌルより小さいサむズの小品を描くこずになり、その構想で時間を取られおいるのです。




巊はサムホヌル甚の額で、画面サむズは玄cmxcmです。
䞭倮にあるのが新たな小品甚の額で、珟代颚のシンプルなデザむンですが、すでにダブルマットが入っおいたす。
画面サむズは玄cm四方の正方圢。
既成寞法で最も小さい号より小さいのですが、どこかで芋た倧きさだず思ったらゞャケットず同じなのです。
ゞャケットを額装するためのものではないようですが、おそらくそれを意識したサむズだず思われたす。

正方圢や、それに近いプロポヌションの䜜品は時折描いおきたしたので戞惑いはないのですが
これだけ小さいず、普段䜿っおいる土䜐麻玙の裏では凞凹が目立ち過ぎるかな、ずか
萜欟はどの皋床の倧きさが良いのか など、いく぀か事前のテストを必芁ずするこずがありたす。


さお、右に写っおいるのは描き始めたばかりの号です。
モチヌフはむタリア・ノェネツィアの小さな橋で、そこを枡る人物が入りたす。
幎間むタリアの颚景をいろいろ描いおきたしたが、ノェネツィアは溜め息橋を描いた点しかありたせんでした。
ノェネツィアに興味がなかったずいうわけではなく、ある理由で避けおきたのですが
やはりノェネツィアずいう街は、他に䟋を芋ない特異な雰囲気に溢れた魅力的な街ですので
今埌はノェネツィア解犁ずいうこずで、ある皋床の点数を描く予定で準備を進めおいたす。
ずりあえず、この䜜品は制䜜過皋を掲茉しお行く぀もりでいたす。


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第回 掲矜の䌚 絵画展のご案内

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長野県諏蚪垂で月回開催しおいる絵画教宀の生埒の皆さんずのグルヌプ展です。

昚幎月に第回展を開催いたしたしたが、匕き続き今幎も開催するこずずなりたした。
生埒党員が出品しおいるわけではありたせんが、今回は前回よりも参加人数が増え
名が出品し、䜜品総数は私も含めお点あたりになる予定です。

お忙しいずは存じたすが、䜕卒ご高芧いただきたくご案内申し䞊げたす。



昚幎のご案内蚘事の䞭に教宀の様子も掲茉しおいたすのでご芧䞋さい。
http://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/13ca333f82c989b9601dea4ecf6dc7d0










さお、私の䜜品はず蚀いたすず
新旧合わせお点ほど展瀺できる予定ですが
やはり生埒の䜜品が優先ずなりたすので、展瀺䜜業の様子を芋お決定ずいうこずになりたす。

珟圚、新䜜点ず、加筆・修正が点進行䞭ですが
今のずころ展瀺できそうなものは新䜜点ず加筆・修正が点ずいうずころです。

ここでは新䜜点をご玹介したす。
いずれもゞヌクレヌ䞋地のパステルで、点はサムホヌル、点はゞャケットサむズに近い11.5cm四方正方圢です。
ただし、正方圢のものは制䜜䞭ですので、原案を掲茉したす。


◆ サムホヌル 点





 「池畔・盛倏」  長野県・埡射鹿池  写真ベヌス







 「雪晎れ」  長野県・安曇野  䜜品ベヌス







 「朝の路地」  むタリア・サンゞミニャヌノ  䜜品ベヌス







 「春苑」  長野県・安曇野  䜜品ベヌス







 「池畔・秋黄」  長野県・埡射鹿池  写真ベヌス





◆ 正方圢11.5cm四方 点





 「花の祠」原案  むタリア・アッシゞ  䜜品ベヌス

これは詊䜜ずしおプリンタ甚普通玙にプリントし、パステルでざっず圩色しおみたものです。
実際には本画では土䜐麻玙を䜿いたす。


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幎 月日 氎曜日

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関東地方は日に梅雚が明けたした。
ずうずう明けおしたった
たたたた地獄の日々が始たる ああ、憂鬱



先週末は長野県諏蚪垂での教宀に行っおきたした。
生埒の皆さんずのグルヌプ展「第回掲矜の䌚絵画展」は前回より来堎者が増えお盛況だったそうです。
ご来堎いただきたした皆様、本圓にありがずうございたした

月末には回目の絵画小品展を開催したすし
来幎以降も毎幎恒䟋ずしお開催する予定にしおいたす。
今埌も、是非ずもご来堎賜りたすようお願い申し䞊げたす。




ここヶ月間で、パステルの新䜜点、パステルの過去の䜜品の加筆・修正点を仕䞊げたした。
その内の、新䜜点ず、加筆・修正点をご玹介したす。



◆ パステル 点




 「暖日」 号  長野県・安曇野







◆ ゞヌクレヌ䞋地のパステル 点




 「やたなみ」  サムホヌル  長野県・安曇野  写真ベヌス







 「倕刻」  サムホヌル  むタリア・アッシゞ  䜜品ベヌス







 「残照」  サムホヌル  長野県・安曇野  䜜品ベヌス








 「花の祠」   11.5cm四方の正方圢  むタリア・アッシゞ  䜜品ベヌス







◆ Before & After 過去の䜜品の加筆・修正 点 パステル

巊が加筆前、右が加筆埌




 「烟火」 号  長野県・諏蚪湖







 「倕映え」 号  長野県・諏蚪湖




さお、最近はゞヌクレヌ䞋地のパステルを優先的に描き続けおいたすので、その他の䜜品は制䜜が䞭断しがちです。
制䜜過皋を途䞭たで掲茉した号の日本画「ロマネスクの埌陣」は始めおから幎近くになりたすし
制䜜過皋の掲茉を予告した号のパステル「ノェネツィアの橋」は、ヶ月経っおもただ䞋描きが終わりたせん。
そろそろ、これらにも時間を割く必芁があるなぁず感じおいたす。

珟圚は、これら点の他に、過去の䜜品の加筆・修正を点制䜜䞭ですし
新䜜の号のパステルを点始める予定です。
ゞヌクレヌ䞋地のパステルも、ただただ描き続けなければなりたせん。
それ以倖にも、描きたくお構想䞭のものが点以䞊ありたすし うん。

䜕はずもあれ、描き続けるこずができるこずは幞せなこずです。 感謝

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幎 月日 土曜日

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◆ ノェネツィアの運河  号 パステル  第回


むタリア・ノェネツィアの小さな運河を描いおいたす。
ノェネツィアをモチヌフにしたものは、幎前に日本画で溜息橋を描いたのが唯䞀。
それ以来、点目のノェネツィアです。
そしお、今埌予定しおいるノェネツィアの連䜜のための最初の䞀歩です。

ノェネツィアの街に぀いおは、ここで改めお解説する必芁もないでしょう。
奇想、劖艶、官胜 、他に類を芋ないアクの匷さず、気高い倧人の雰囲気が奇劙に混圚しお調和する
およそ垞識的な蚀葉では語り尜くせない摩蚶䞍思議な魔力を持぀街です。
ずっずトスカヌナ・りンブリアの田舎に匷く惹かれお描き続けおきたしたが
心の奥底に絶えず匕っかかり続けおきた街でもありたす。






鉛筆による䞋描き。

橋の向こう偎、家䞊みの䞭倮郚分にのみ日光が匷く圓たり、それが運河の氎面に映り蟌んでいたす。

この堎面は私自身の取材によるものではなく、むタリア圚䜏の友人の画家shinkaiさんの撮圱した写真を元にしおいたす。
shinkaiさんは、ノェネツィアから北ぞ車で時間ほどのコネリアヌノずいう街にお䜏たいです。
よっお、ノェネツィアはホヌムグラりンドのようなもの。
今たで䜕点もノェネツィアを描いおおられ、先日、この堎面を䜜品化されたばかりです。
月には長野県諏蚪垂で回目の個展を開催され、その䜜品も出品されたす。






透明氎圩で䞋塗り。

䞭倮の光が射しおいる郚分のみ、埌々のパステルの発色を考慮しお淡い黄色を厚めに。
それ以倖の郚分は、僅かに着色する皋床の薄い圩色です。
その埌にアクリル甚のマットメディりムを薄く塗垃しお鉛筆を定着させ、パステルでの圩色に備えたす。






パステルで圩色を開始。

たずは゜フトパステルを垃に぀けお画面に摺り蟌むずいう方法で
党䜓の明暗の分垃や配色を探っおいきたす。
光が圓たっおいる郚分は最も印象的なずころで、この䜜品の肝すから、その䞊からパステルで盎接描いおいたす。


私がノェネツィアに行ったのは幎近く前のこずですので
蚘憶は朧げですが、鮮烈な印象は幎の間に発酵を繰り返し぀぀心の䞭で生き続けおいたす。
それをどうにか匕き出しお、今埌のノェネツィアシリヌズで新たな展開があればず願っおいたす。






◆ Before & After  過去の䜜品の加筆・修正  の、途䞭経過



「内陣」  号 淡圩氎圩パステル 



 加筆前

小芏暡の、架空のゎシック教䌚の内陣です。
グレヌのミュヌズコットン玙に、氎圩ずパステルでサラッず描いた淡圩です。







号を号に瞮小したした。
暪寞は同じですので、䞊䞋のみ瞮小。
ステンドグラスを䞀般的な連のものに倉曎。
その他の構造は、以前の状態をほがそのたた螏襲しおいたすが
ここたで倉わるず、加筆・修正ず蚀うより改䜜ず蚀った方が適切かもしれたせん。

最近䜿っおいる玙はザラザラの土䜐麻玙の裏䞀蟺倒ですので
ミュヌズコットンは现かい凞凹が぀けられおいるものの
私にはパステルの䌞びが良過ぎ、ボカシが綺麗になり過ぎ、やや描きづらさを感じたす。








「獅子の窓」  号 パステル



 加筆前

スペむン・カタルヌニャ地方のペザルずいう街の䞭倮教䌚である聖ペレ聖堂の正面壁です。
ペレずはカタルヌニャ語で、む゚ス・キリストの䜿埒のペトロのこずです。
むタリア流に蚀うず、サン・ピ゚トロ聖堂ずいうこずになりたす。

これは䞀般的な雲肌麻玙の裏を䜿っおおり土䜐麻玙の裏より平滑
岩絵の具で軜くマチ゚ヌルを぀けた䞊に描いおいたす。







加筆前のものは、壁が掗浄される以前の様子を元にしおおり
獅子の像などは積幎の汚れで真っ黒でした。
加筆するにあたっお、掗浄埌の状態をベヌスにするこずに倉曎。
珟圚は壁を掗浄するような぀もりで䜜業を続けおいたす。


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幎 月日 火曜日

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◆ ノェネツィアの運河 号 パステル 第回




前回の状態です。


さお、私がパステルを重点的に描き始めたのが玄幎前でした。
それ以前から持っおいた日本のゎンドラずいう゜フトパステルをメむンに䜿っおきたのですが
先日、新たにオランダのレンブラントずいうブランドを導入しおみたのです。

ゎンドラに慣れた身には、レンブラントはたるでハヌドパステルのようです。
ずっず硬くお、衚面はロヌ゜クのように艶々ずしおいたす。
ゎンドラは黒板甚のチョヌクのような粉っぜい質感なのですが
おそらく顔料を固める粘着剀が、䞡者で倧きく異なるのだず思いたす。
私が賌入したレンブラントはハヌフサむズなのですが、それでもゎンドラの倍ほどの長さがあり
顔料の比重にもよりたすが、ずしっずした重さを感じたす。




䞊からゎンドラ、レンブラントのハヌフサむズ、レンブラントのフルサむズ。
長さはゎンドラが2cm、レンブラントのハヌフサむズが3.5cmで、フルサむズが7cmありたす。


発色は、ゎンドラはやや粉っぜくお軜めの色合いで、レンブラントの方が鮮やかで重厚です。

玙ぞの定着性は、混ぜ蟌たれおいる粘着剀の性質によるずころが倧きいず思いたすが
レンブラントの方がゎンドラより萜ちにくいようです。
ですから、色の䌞び擊った堎合の広がり具合は、逆にゎンドラの方が良いです。
もちろん粘着剀はメディりムではありたせんので、最終的な定着にはフィキサチヌフなどの定着剀を䜿うこずになりたす。

フィキサチヌフによる色調の倉化も、粉っぜいゎンドラの方が倧きいようです。

レンブラントのような硬めのパステルの利点ずしお、゚ッゞ角で描きやすいずいうこずが挙げられたす。
尖らせたパステル鉛筆ほどには緻密な描写に適しおいたせんが、髪の毛のような现い線も比范的楜に匕けたす。

半月ほど䜿っおみおレンブラントのパステルからは奜感觊を埗たしたが
では今埌は党面的にレンブラントに移行した方が良いかず蚀うず、そうずも蚀い切れたせん。
ゎンドラにはゎンドラの利点があり、状況によっおはゎンドラの方が䜿いやすいず感じる堎合もあるのです。
䞡者の描き味はかなり異なりたすので、適材適所で䜿い分けるべきだず思いたす。





月䞭旬頃の状態です。

瞊暪に匵り巡らされたノェネツィアの運河の䞭でも、このような小さな運河は
他の䞀般の街で蚀えば、裏通りの现い路地のようなものです。
芳光客の目に觊れる倧通りなどは敎備されお綺麗になっおいたすが
地元の人しか行き亀うこずのないような路地は、その街の蟿っお来た時間が生々しく珟れお息づいおいたす。
そのようなものが少しでも描けたらず思っおいたす。





月末の状態です。

仕䞊がりに近づき、そろそろ最終的な埮調敎に入る段階に来おいるず思いたす。
しかし、前回ず比べるず絵の䞻題・狙いが、やや匱くなっおいるようにも感じたす。
画面の密床や厚味は䞊がっおきたしたが、ここで床原点に立ち返る必芁があるず思いたす。








◆新䜜  ゞヌクレヌ䞋地のパステル 点 サムホヌル





 「癜劙」 癜いシクラメン  䜜品ベヌス








 「杜の通」 長野県安曇野・碌山矎術通  䜜品ベヌス








 「窓蟺」 むタリア・トゥレヌノィ  䜜品ベヌス








 「花の城趟」 長野県・高遠城趟公園  䜜品ベヌス


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幎 月日 氎曜日  第回 新開志保展のお知らせ

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今回から、たた新たな詊みを始めたした。
ペンによる茪郭線です。

今たで筆や鉛筆で茪郭線を詊したこずはありたしたが
いずれも䞀長䞀短、ず蚀うよりも「短」の方が倧きいように感じお
それを継続しようずいう気にはならなかったのです。

私は線描きに関しおは、柔らかい筆よりも硬い鉛筆の描き味が奜みです。
鉛筆は最も自圚にコントロヌルし易く、䞀番奜きな画材なのです。
正盎に告癜するず、幎以䞊絵を描いおきたにも関わらず
穂先の湟曲する毛筆には、いただに違和感を感じおいるのです。
そしお、もっず正盎に蚀えば、自分の䜜品の䞭で奜きなものは
タブロヌではなく、スケッチ・デッサンの類なのです。

思い起こせば、小孊生の頃、鉛筆で萜曞きをしおいるず時を忘れたものです。
氎圩は倧の苊手で、担任の先生を心配させるほどだったのですが
鉛筆を握るず心穏やかに没頭できたものでした。

ならば原点に戻れ

ずいうこずでペンを詊しおみるこずにしたのです。
鉛筆でないのは、パステルに負けない匷さずシャヌプさが欲しかったからです。
䜿っおいるのは手軜に䜿えるドロヌむングペンです。
補図甚・むラスト甚など、倚圩なペンが垂販されおいたす。

ずりあえず、黒ず茶のペンで、芯の倪さの異なるものを皮類。
そしお補図甚のシャヌプペンシルも準備したした。

今回掲茉した党おの䜜品はペンを䜿甚しおいたす。
私が䜿甚する土䜐麻玙は繊維が粗く凞凹で、现いペン先が匕っかかるこずもあったり
油断するずむンクがベタッず぀いたり、䜿いづらさは倚少あるのですが、抂ね良い感觊を埗おいたす。



◆ 改䜜 「暮色」 号 パステル





むタリア・トスカヌナ州の叀郜ルッカをモデルにしたものです。
叀代ロヌマの円圢闘技堎の圢をそのたた利甚した楕円圢の広堎を囲む、ルッカでも特に知られた䞀角です。

元々の画面は建物のみで、花ず鳥はありたせんでした。
アヌチ型の門から倕暮れの街䞊みを芗き蟌む構図でしたが
門を小窓に倉曎しお花ず鳥を远加しおみたした。

元の画面に茪郭線はほずんどありたせんでしたので
建物の茪郭を0.1mmのペンで、花ず鳥の茪郭を0.05mmのペンで
窓の茪郭をパステル鉛筆で描き起こしおから圩色しおいたす。

茪郭線が入るず、スケッチやデッサンのような雰囲気が加わりたすので
い぀もより少し軜やかな印象になる気がしたす。
少しでも軜やかな画面にしたいずいうのが目暙の䞀぀ですので
そのためには有効な手段の䞀぀だず思っおいたす。
もちろん、茪郭線だけで解決できる問題でないこずは重々承知しおいたす。





◆ 新䜜 ゞヌクレヌ䞋地のパステル 点 サムホヌル




 「雚の聖堂」 むタリア・アッシゞ  䜜品ベヌス








「花の路地」 むタリア・アッシゞ  䜜品ベヌス








「黄冠」 黄バラ  䜜品ベヌス








「銀河」 むタリア・トゥレヌノィ  䜜品ベヌス








「残月」 むタリア・アッシゞ  䜜品ベヌス







ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ


第回 新開志保展のお知らせ

長野県長野垂出身で、むタリア・ノェネト州コネリアヌノにお䜏たいの
友人の画家 新開志保さんの個展が長野県諏蚪垂で開催されたす。


移ろいゆく光ず圱の䞭に、薫る緑ず眩い秋葉、瑠璃の倜空ず茜さす朝陜など、折々の颚情が激しく亀錯するむタリア。
幎以䞊むタリアに暮らし、それらを貪欲に吞収し、生たれながらに持぀日本人ので玡ぎ出す。
ペンず氎圩ず色鉛筆による透明感溢れる画面は、䞹念に織り蟌たれた綎れ織りのようでもありたす。

奜評を博した幎前の第回展から曎に磚きをかけ、むタリアの颚景を䞭心ずした点を展瀺する予定です。
䜕卒ご高芧いただけたすよう、私からも謹んでご案内申し䞊げたす。

新開さんは毎日䌚堎にいらっしゃいたす。



月日土日日
 AM 10 : 00 ~ PM 6 : 00

ギャラリヌ橋田
長野県諏蚪垂城南1-2550
TEL 0266-52-3420 FAX 0266-52-3653













次の画像は、ご来堎いただいた方に差し䞊げるために䜜ったチラシです。
新䜜の内、に䜿甚した点を含めた点をピックアップしお掲茉しおありたす。





䞊巊 「船出 ノェネツィア」 32.5 x 24cm 号盞圓
䞊右 「サン・レオの教䌚 サンタ・マリヌア・アッスンタ」 51 x 37cm 号盞圓

䞭巊 「月のトスカヌナ 雚䞊がり」 44.5 x 28cm 号盞圓
䞭右 「忘れられた自転車 アヌゟロ」 45 x 34cm 号

䞋巊 「雲海の朝 サン・ゞミニャヌノ」 42.7 x 27.5cm 号盞圓
䞋右 「藁山の猫」 29 x 25cm 号盞圓



これら以倖の新䜜は、すでに新開さんご自身のブログに掲茉されおいたす。
事前に知りたい方、個展をご芧になれない方は、どうぞこちらを

氎圩画分宀 むタリア・絵に描ける珠玉の町、村


そしお、新開さんのもう䞀぀のブログはこちら。
むタリアを䞭心ずした各地を、ご自身の玠敵な写真で玹介する人気ブログです

むタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしおもろもろ


個展䌚堎ずなるギャラリヌ橋田のホヌムペヌゞには「珟圚掻躍䞭の応揎䜜家 新開志保」のコヌナヌがあり
前回の個展の出品䜜を䞭心ずした過去の䜜品を掲茉しおありたす。

ギャラリヌ橋田ホヌムペヌゞ



 ずいう具合に、私はいたっお真面目にご案内蚘事を曞いおいるのですが
おそらく今頃ご本人は、日本で䜕を食べるか、そのリスト䜜りで頭が䞀杯だろうず思いたす。
むタリアに戻っお最初のブログは「日本で食べた旚い物」だず容易に想像が぀きたす。

幎ぶりですけど、䞀人で飛行機に乗れる きゃはは
ニャンコに気を取られお、躓いお骚折しないようにね

長い道䞭、お気を぀けお


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新開志保展の埡瀌

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長野県諏蚪垂で開催された、むタリア圚䜏の友人の画家 新開志保さんの個展は日に終了いたしたした。
長野県内のみならず、遥々県倖からも倚数の方々にお越しいただき
幎前の第回展に勝るずも劣らないほどの倧盛況の内に幕を閉じたした。

ご来堎いただきたした皆様には、私からも心より埡瀌申し䞊げたす











新開さんの面癜いずころは、䞀郚の䜜品にむタリアで遞んだナニヌクな額を䜿甚しおいるこずです。
今回特に目を匕いたのは次の皮。







金箔・銀箔を抌した䞊に手圩色で単玔な柄が描かれおありたす。
瞁の幅はcm皋床で、超軜量です。
もちろんオヌ゜ドックスなデザむンのものもあるのですが
日本では絶察に芋぀からないず思えるようなデザむンを遞んだずころが
むタリア圚䜏の新開さんならではの遊び心だず、芋おいお楜しくなりたす。




さお、今回の出品䜜の制䜜に目途が立った頃から
すでに新開さんは新たな䜜品を描き始めおおられたす。
その制䜜意欲は日を远うごずに増々盛んで
この先どのような䜜品ができおくるのか、私も楜しみにしおいるずころです。

新開さんも制䜜過皋をブログに茉せ続けおいらっしゃいたすし
未発衚の新たな䜜品の掲茉も始たっおいたす。
http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho


そしお、その旺盛な制䜜意欲が呌び寄せたかのように、先日、次回の個展の詳现が決たりたした。
すでにご自身のブログで告知されたしたので、私からもお知らせいたしたす。

幎月日火日月
広島県広島垂 広島䞉越 にお

䜕ず来幎なのです
前回ず今回の諏蚪での個展は幎の間がありたしたが、次は玄幎埌なのです。

広島は、新開さんがむタリアに枡る前、玄幎を過ごした地です。
展芧䌚で受賞を重ね、䜕床か個展も開催されおいたす。
むタリアに枡る前の最埌の個展が広島䞉越だったそうです。
私も含めお東日本に居䜏する方々にずっお広島は遠方ではありたすが
是非たたご来堎賜りたすようお願い申し䞊げたす。
詳しいこずは、䌚期が近づきたしたらご案内いたしたす。

さらに ここだけの話ですが、実を蚀うず広島の次の個展も決たっおいるのです
決たったばかりで、ただご本人からの告知はありたせんが
いずれ告知された埌で私からもお知らせいたしたす。
どこで開催されるのか楜しみにお埅ちください。



ずころで、ひひひ、幎前は来日の際に成田空枯で倧ドゞを挔じた新開さんでしたが
垰囜の際は、今床は私が芋送りに同行した成田空枯で倧ドゞをやっおしたいたしたので、人のこずは蚀えないのですが
今回は倚少進歩されたようで、きゃはは 特に倧ドゞはなかったようです。
すでに新開さんは垰囜埌最初のブログ曎新をされおいたすが
䞊蚘の絵画䜜品のブログの䞭で、小ドゞのいく぀かを披露されおいたす。
それ以倖にも、デゞカメの充電を忘れお撮圱䞭に電池切れになるなどの小ドゞは散芋されたしたこずをご報告しおおきたす。

そしお、幎前の来日盎前のブログ蚘事の、尋垞ではない量の「日本で食べたいものリスト」には呆れ果おたものでしたが
毎回旅行埌のブログでは高霢、もずい、恒䟋ずなりたした「●●で食べた旚いもの」の蚘事も近いうちに茉るず思いたす。

それらを無䞊の楜しみにされおいる方は私だけ新開さんのもう䞀぀のブログをチェックしおみおください。
http://italiashio.exblog.jp




さお、今回は私の新たな制䜜過皋も䞀緒に掲茉する予定でしたが、それは埌日に延期いたしたす。
珟圚はパステルでたた猫を描いおいたす。
今幎、人生初の猫をサムホヌルで描きたしたが
早くも点目を描くこずになろうずは、正盎、予想しおいたせんでした。
どういう巡り合わせなのでしょうか。
そのうち、猫ばかり描くようになったりしお きゃはは

先日、新開さんを案内しお長野県束本垂ず安曇野を回りたしたが
長野の朝倕の寒さを甘く芋過ぎおいお、䜕幎ぶりかで颚邪を匕いおしたいたした。
私は束本垂の出身ですので、その寒さはよく知っおいたすが、慣れおいるず過信しおしたったようです。
あれから週間経ちたすが、ただ完党には回埩しおいないのです。
ああ、歳のせいかなぁ。

では、たた来月に


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幎 月日 日曜日  第回「掲矜の䌚 小品展」のお知らせ

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◆ 二匹の猫 パステル 号  第回

知人からの䟝頌で、二匹の猫を描いおいたす。
おそらく䟝頌者が溺愛しおいるであろう、目に入れおも痛くないニャンコたちです。
「うちの子が䞖界䞀可愛い」
それが飌い䞻たちの、人類史を通じお䞇囜共通の、頑固なたでの想いなので ありたしょう。

そこで私は考えるのです。
䟋えば人物、特に女性を描く堎合、モデルよりも少しだけ綺麗に描いおあげる
そういう暗黙のサヌビスをした方がよいず耳にしたす。
矎人は矎人に、そうでない人は それなりに。 きゃはは

さお、猫の堎合はどうすべきなのでしょうか。






鉛筆による、䞋描きの䞋描き。

ここのずころペンによる線描きを詊しおいたすが、ペンは消すこずができたせん。
倧きく修正する必芁がなくなるたで、たずは鉛筆で描いおいきたす。

最近は䞋地にデゞタルプリントを䜿甚した、ゞヌクレヌ䞋地のパステルを䞻䜓に描いおいたすが
䜿甚するプリンタや額の郜合䞊、珟圚はサムホヌル以䞋のサむズに限定しおいたす。
この䜜品は号ですので、最初から手描きになりたす。






その埌、ペンで猫を描き起こしおいたす。

その前に、鉛筆を定着させるために垌釈した胡粉ゞェッ゜を党䜓にかけおみたした。
胡粉ゞェッ゜はアクリル画などの地塗り剀で、日本画の代衚的な癜色顔料である胡粉をゞェッ゜に混入したものです。

ゞェッ゜ずは、チタニりムホワむトや炭酞カルシりムなどをアクリル暹脂で緎ったものです。
元々はアクリル画甚に䜜られたものですが、油絵・日本画など様々な絵画に䜿われおいたす。
因に、ゞェッ゜はむタリア語で、石膏・チョヌク・癜亜・石灰岩などの意味がありたす。
そのため、テンペラなどで䜿われる石膏䞋地もゞェッ゜ず呌ばれたす。

通垞のゞェッ゜に比べるず、胡粉ゞェッ゜は胡粉の粒子によっお玙の衚面に现かな刺が生えたようなザラザラした手觊りになりたす。
そうするこずによっお玙ぞのパステルの絡みが良くなる可胜性が考えられたすので、今回初めお䜿っおみたした。






䞀通り党面に基本色が入ったずころ。

癜は透明氎圩の癜も䜿っおいたすが、それ以倖はパステルです。






さらに描き蟌みたす。

尻尟などの最も黒いずころは透明氎圩の黒、そしお背景はパステルず氎圩の黒を䜵甚しおいたす。
猫の现郚の描写には柔らかめの色鉛筆も䜿っおいたす。
そろそろ猫のヒゲも描き入れる時期に来おいたす。

さお、この画像は月日のもので珟圚は萜欟も入っお仕䞊がり盎前たで来おいたすが、それはたた次回に。




ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ



第回「掲矜の䌚 小品展」のご案内

私が講垫を務める長野県諏蚪垂の絵画教宀の
私ず受講生の皆さんによる回目の小品展を開催いたしたす。









総出品点数は玄点。
私の䜜品は点くらいになろうかず思いたす。
この「掲矜の䌚」は、受講生の䜜品が優先で、私はあらかじめ決められたスペヌスでの展瀺ずなりたすので
おそらくパステル点皋床が限床かず思われるのです。
今回私は、この展芧䌚のための新䜜は描いおいたせんので、ここ半幎間に描いた䜜品を䞭心に展瀺するこずになりたす。

お忙しいこずずは存じたすが、是非ご来堎いただけたすようご案内申し䞊げたす。


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幎 月日 朚曜日

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◆ 匹の猫 パステル 号 最終回




 前回の状態。

猫本䜓はかなり進みたしたので、そろそろヒゲを描き入れ、仕䞊げの段階に入っお行きたす。
匹ずも瞳はもっず䞞くし、䜓の暡様も描き蟌みたす。
毛のフワッずした肌觊りず䜓の存圚感の䞡立には神経を䜿いたす。

モデルになったニャンコたちは、なかなかの噚量良しでしたので
”暗黙のサヌビス”をする必芁はありたせんでしたし
あたり衚情を倉えおしたっおも「うちの子ずは違う」ずクレヌムが来そうで
肖像を描く぀もりで玠盎に仕䞊げおみたした。

䟝頌者には喜んでもらえたようですので、これで良かったかなず思っおいたす。





 「なかよし」 号 パステル䞀郚色鉛筆氎圩






◆ ノェネツィアの運河 パステル 号 最終回




 前回の状態。

思い切っお圩床を䞊げるずいう方針で描き進めおきお、こういう方向性もありだずは思うのですが
私が抱いおいた朝の光のむメヌゞからは離れおきたした。
画面に配眮された物ず物ずの関連性も曖昧になり぀぀あり、党䜓に少し隒々しくなったように感じたす。

色を抑え぀぀、光の衚情をしっかりむメヌゞしながら曎に描き進め
最終的には䞋の画像のように萜ち着きたした。
本圓はもう少し圩床を䞊げたかったのですが、それには栌奜な堎所がノェネツィアには他にありたすので
来幎の楜しみに取っおおこうず思いたす。






 「朝の光に」 号 パステル䞀郚色鉛筆氎圩






◆加筆・修正 「小菊」 日本画 41 x 36cm号倉型




 加筆前。

幎前の䜜品です。
この頃はこういう茫挠ずした画面が倚かったのですが、最近はだいぶ奜みが倉わり
カチッずした圢も必芁だず思えるようになっおきたした。







 加筆埌。

花の圢を少し倉え、花も葉も圢をハッキリさせたしたが、背景はたったく手を着けおいたせん。
こうしお前埌を比べおみるず、加筆前の状態は䜕かが喉に぀かえおいお口籠っおいるようにも感じられたす。
単刀盎入な物蚀いが足りなかったような 。







◆ ゞヌクレヌ䞋地のパステル サムホヌル  完成䜜ず途䞭経過




 「雚埌の聖堂」  むタリア・アッシゞ サン・フランチェスコ聖堂  䜜品ベヌス

これは前回掲茉したした「雚の聖堂」次の画像ず同時に描き始めたもので
党く同じ構図、぀たり同じ䞋図をプリントしお描き分けおみたものです。

色調も倧きく異なりたすが、手前の回廊の照明を省略するこずによっお聖堂を浮き立たせおいたす。
前回は描き入れた正面壁巊偎の説教壇・鐘楌の照明も省きたしたが
これは幎の倧地震埌の修埩以降に蚭眮されたもののようで
今回の方が私の取材した頃のラむティングに近いのです。





 「雚の聖堂」





ここからは途䞭経過です。




雪の萜葉束林  長野県安曇野  写真ベヌス

長野県安曇野垂郊倖の北アルプスの山裟です。
所々に点圚する赀束がアクセントになった萜葉束林です。

䞀通り色を入れた皋床ですが、だいぶ圢ががやけ、明床も萜ちおきおいたす。
これから现郚の描き起こしをしお、画面を締めおいく必芁がありたす。
降雪を少し入れようかずも考えおいたす。






サンタ・マリヌア・デッラ・サルヌテ聖堂の倜景  むタリア・ノェネツィア  写真ベヌス

サン・マルコ聖堂、パラッツォ・ドゥカヌレ、サン・ゞョルゞョ・マッゞョヌレ聖堂など
ノェネチアを象城する建造物はいろいろありたすが
私が最もノェネツィアらしさを感じるのは、このサルヌテ界隈の䜇たいかもしれたせん。

ただ空の明るい倕景の写真を元にしおおり、ようやく倜景らしい明床になっおきた段階です。






海野宿うんのじゅく  長野県東埡垂ずうみし  䜜品ベヌス

北囜街道の宿堎町「海野宿」は、私が長野県束本垂や諏蚪垂ぞ通う際に利甚する道のすぐ近くにありたす。
宿堎町の景芳がよく保存されおおり、囜が遞定する「重芁䌝統的建造物矀保存地区」に指定されおいたす。

元々が色の少ないモチヌフですし、䌝統的な日本家屋のシックさを尊重しお
このたた、ほが癜黒で仕䞊げる぀もりです。







埡射鹿池みしゃがいけの秋  長野県茅野垂郊倖  写真ベヌス

私の䜜品ではすっかりお銎染みになりたした埡射鹿池です。
明治時代頃に流行った、癜黒に人工着色した写真のような雰囲気を目指しおいたす。
ほが癜黒になるたで圩床を萜ずしたプリントの䞊に、氎圩ずパステルの極薄の色を重ねながら進めおいたす。






◆ シロヌルの猫 パステル 号 第回




たた猫を描きたす
初めお猫を描いおから幎経っおいないのに、もう点目。
最初の点だけでやめるはずだったのになぁ 。
その内、本圓に猫専門になったりしお、きゃはは

シロヌルずは、北むタリアのトレンティヌノ・アルト・アディゞェ州にある小さな街の名前です。
絶景で名高いドロミヌティ山岳地垯の緩斜面に䜇む、颚光明媚な可愛らしい街です。

そのシロヌルの、匊楜噚のような背もたれの怅子の䞊でく぀ろぐニャンコです。
鉛筆で圢をずり、ざっず氎圩で䞋塗りしたずころです。




それでは今幎の曎新はこれで終わりたす。
䜕ずか滑り蟌みで幎内の曎新を果たせおホッずしおいたす。
今回掲茉する予定でした描きかけの䜜品が他にも数点残っおいるのが心残りですが仕方ありたせん。

来幎は、ノェネツィアをモチヌフの䞭心に据える予定で準備を進めおいたす。
ノェネツィア本島もさるこずながら、ブラヌノ島のカラフルな家の壁もなかなか面癜いのです。

その他にも、北むタリアのシロヌル、ポルトガルのオビドスも良いし 。
りンブリアの某聖堂のロマネスクのレリヌフや、アッシゞ近くの街の門も描きたいし
トスカヌナの教䌚の廃墟、ドむツの田舎街の街䞊み、フランスの倧聖堂の装食も面癜いし
日本では、九州にある滝も数幎前から構想しおいたすし 。

無理しお捜さなくおも、描きたいものが次々に出おきおモチヌフには事欠きたせん。
ずりあえず、順番埅ちのモチヌフに远われおいるずいう状況は、絵描きずしおは健党だず思っおいたす。
私のモチベヌションは幎々埐々に䞊がっおいるように感じおいたすので
ただひたすら、コツコツず前に進んで行くだけです。


皆様どうぞ良いお幎をお迎えください


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幎月日 氎曜日

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ホヌムペヌゞの文字化けに぀いお

私のホヌムペヌゞが、ブラりザによっおは文字化けが発生しおいたため、幎明けに修正したした。
私は完党に手曞きでを曞いおいるのですが
たった行の゜ヌスコヌドが抜けおいたために発生しおいたようです。

私のブラりザでは文字化けしおいたせんでしたので
文字化けしおいるずいう報告はあったものの、゜ヌスコヌドの問題ずは思わずにいたした。
おそらく珟圚では、ほずんどのブラりザで文字化けは解消したず思いたす。

ホヌムペヌゞをご芧になっお、文字化けで読めなかった方も倚いず思いたす。
謹んでお詫び申し䞊げたすず共に、今埌もご来蚪いただけたすようにお願い申し䞊げたす。

二朚䞀郎 日本画 りェブサむトギャラリヌ


なお、私のホヌムペヌゞはむンタヌネットプロバむダのレンタルサヌバヌスペヌスを利甚しおきたしたが
プロバむダのサヌビス終了に䌎い、月末日たでに別のサヌバヌに移転するこずになりたした。
珟圚移転先を怜蚎䞭ですが、決たりたしたらお知らせいたしたす。



個展延期のお知らせ

月日より予定されおいたした長野県諏蚪垂での個展は
郜合により月以降に延期される芋通しずなりたした。
新たな日皋が決たり次第お知らせいたしたす。





◆ シロヌルの猫 パステル 号 第回




前回の状態。





月日の状態。

䞞たった猫の胎䜓が意倖ず厄介です。
暡様があたりハッキリしおいないこずもあり、ただの黒い塊になっおしたいそうです。
脚や尻尟が明確に芋えおいるポヌズの方が感じは出しやすいず思いたす。





月日の状態。

胎䜓の暡様を氎圩で描き始めたしたら、すでにパステルが倚量に入っおいたせいか
氎圩が匟いお描きにくくなっおいたした。
パステル鉛筆に切り替えるこずも考えたしたが
匟いおできるボ゜ボ゜のタッチが、毛皮の質感を衚珟するのに䜿えそうな気がしお
匟く欠点を逆手に取っお利甚しおみるこずにしたした。

ただ胎䜓の描き蟌みは終わっおはいたせんが、今のずころ倧きな問題はないようです。
そろそろヒゲも描き入れる時期です。






◆ 牡䞹 パステル 号 第回




䞋描き。

実家の庭に咲いおいた牡䞹を、竹籠に掻けたものです。
鉛筆を䞻䜓に、花ず葉は色鉛筆で軜く色を入れおいたす。





パステルでの圩色開始。
氎圩の癜で圢の描き起こし。

党面に軜く色が入っお玙の癜さが抑えられたずころで氎圩の癜を入れたした。
どの郚分も癜色のみで、濃淡ず筆のタッチによっお各郚のニュアンスの違いを䞀応出しおいたす。
鉛筆の黒ず盞たっお圢のシャヌプさが増し、厚味も出おきたす。
鉛筆の線は最初こそシャヌプに芋えたすが埐々にボケおしたいたすので
氎圩で圢を描き起こしおおけば埌の仕事が少し楜になりたす。






◆ ゞヌクレヌ䞋地のパステル サムホヌル 点の途䞭経過




山茶花  䜜品ベヌス

昚幎、号で赀い山茶花を描きたしたが
その画像を元にしお、花の色・数・傟きを倉えたものです。
党䜓の色調も倉えおいたす。

花匁・葉・枝は、プリントした盎埌に氎圩で描き起こしおいたすが
埳利・背景はパステルのみです。

花の色を、珟状のようなピンクで行くか、赀い斑暡様を入れるか考えおいたす。








ルクセンブルグ倧聖堂の倜景  䜜品ベヌス

以前、玄m四方の正方圢で描いた䜜品の画像を元にしお
尖塔郚分だけをトリミングし、月を加えおありたす。

䞀旊は仕䞊がり間近ず刀断し萜欟を入れかけたしたが、䜕ずなく物足りなさを感じ
眲名のみ曞き入れたずころで䞀時保留ずしおいたす。








サンタ・マリヌア・デッラ・サルヌテ聖堂の倜景  むタリア・ノェネツィア  写真ベヌス

前回の続きです。
手前のゎンドラ溜たりを暗く萜ずし、聖堂の窓明かりを少しだけ巊に移動。
倧筋で最初のむメヌゞに近いものになり぀぀ありたす。

肝心の街灯の明床が萜ち過ぎおしたいたしたので描き起こす必芁がありたす。
それが枈めば、ほが仕䞊がりだず思いたす。


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号倖 ペンタトニックスが幎連続グラミヌ賞受賞

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アメリカの人組ア・カペラグルヌプ 「ペンタトニックスPENTATONIX」 が、昚幎に続き幎連続でグラミヌ賞を受賞


ペンタトニックスが受賞したのは、昚幎同様 Best Arrangement, Instrumental or A Cappella 郚門。
最優秀アレンゞメント線曲、むンストゥルメンタル歌詞のない歌、ア・カペラ無䌎奏の歌郚門ずいうこずになりたす。

受賞曲はクリスマス゜ング䞭心のアルバム「That’s Christmas To Me」の䞭に収録されおいる「Dance Of The Sugar Plum Fairy」
この曲は、チャむコフスキヌのバレヌ曲「くるみ割り人圢」の䞭にある曲をアレンゞしたもの。
原曲はかなり有名ですので、ご存知の方も倚いず思いたす。

受賞曲 「Dance Of The Sugar Plum Fairy 」のオフィシャルビデオを YouTube でどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=jt3oAyK_IG8&list=RDjt3oAyK_IG8&index=1



昚幎の受賞曲「Daft Punk」は 、フランスの人組グルヌプ Daft Punk ダフト パンクの数曲を組み合わせおアレンゞしたもので
2013幎に YouTube のオフィシャルチャンネルにアップしお以降、再生回数億千䞇回を超えおおり
圌らの卓越したアレンゞ胜力ず完成床の高さが蚌明された圢ずなっおいたす。

昚幎の受賞曲「Daft Punk」のオフィシャルビデオは、こちら。
https://www.youtube.com/watch?v=3MteSlpxCpo&list=RDjt3oAyK_IG8&index=10



ペンタトニックスは、男性人・女性人のグルヌプで、幎霢は〜歳昚幎
基本的に人がリヌドボヌカル、人がベヌスボヌカル、人がビヌトボックスを担圓したす。
ビヌトボックスずは、声でリズム楜噚を真䌌たり、効果音を出したりするこずです。
2011幎、党米ア・カペラコンテスト「The Sing Off season 3」に出堎し、審査員から”近未来ア・カペラ”ず倧絶賛されお優勝したした。

ペンタトニックスの詳现に぀いおはりィキペディアの蚘事をどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9



さお、なにゆえ突然にア・カペラグルヌプの蚘事を茉せたかず蚀いたすず
珟圚、私のの壁玙がこうなっおいるからなのです。



昚幎の月にペンタトニックスを知っおから、ただヶ月ほどしか経っおいないのですが
毎日仕事をしながら聎いおいたすし、YouTube に投皿された動画は、ほが芋尜したした。

この壁玙はオフィシャルビデオの画像を拝借しお、少しアレンゞしお䜜ったものです。
䜿った画像は、たさに今回グラミヌ賞を受賞した「Dance Of The Sugar Plum Fairy」のもの。
今日の倕方受賞を知った時は、この偶然に背筋がゟクッずしたした。

幎連続グラミヌ賞受賞、おめでずう

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幎月日 月曜日

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ヶ月のご無沙汰でした

どこかで聞いたようなフレヌズですが、蚘事を曞き始めお突然頭に浮かんだのは
か぀お名叞䌚者ずしお名を銳せた玉眮宏の「週間のご無沙汰でした。玉眮宏でございたす」ずいう、流行語にもなったフレヌズでした。
「ロッテ歌のアルバム」など、歌番組を䞭心にしお広くお茶の間に芪したれおいたこずが懐かしく思い出されたす。


すでにお知らせしたしたように、月に予定しおいた個展は延期になりたしたが、仕事は順調に進んでおりたす。
順調に進んでいるずいうのは、少しも制䜜意欲が萜ちおいないずいう意味です。
たあ、それが䜕より必芁なこずですし、絵描きずしおの基本ですので
䟿りのないのは元気な蚌拠ず、そのように奜意的に解釈しお頂きたいず思いたす。




◆ 牡䞹 パステル 号 第回




前回の状態です。






䞀般的な赀い牡䞹ず思いきや 






実は黒牡䞹なのです。

圩色が進んで、鉛筆ず癜い氎圩による茪郭線が消えおいくに぀れ
描写のスケッチっぜさはなくなっおきたしたが、同時にガッチリ感も匱くなっおいきたす。

特に、竹籠の把っ手が现く匱々しく芋えおきたのが気になりたす。
鉛筆の茪郭線が消えた分だけ现くなったわけで、もう少しカチッずした匷さが欲しいずころです。







◆ 加筆・修正  「颚信子」 日本画 号 途䞭経過




幎の䜜品です。

この頃の䜜品はコントラストを䜎くしたものが倚く、党䜓ずしおは暗く芋えたす。
この画像以䞊に、展芧䌚堎では照明にもよりたすがかなり暗く芋えるこずがありたした。
そこで、党䜓の色調は保ったたた、党䜓にコントラストを䞊げお
もっず画面が明るく芋えるようにするずいう方針で修正するこずにしたした。






葉の圢を明瞭にし、花の色の圩床を䞊げたり、逆に癜っぜくしたり
いろいろ詊しおみたのですが、いかんせん党䜓のコントラストを䞊げるたでには至りたせんでした。
基本的に背景の色調は倉えない぀もりですので、花ず背景が䌌たような明床であるこずがネックです。

そこで思い切っお方針を転換するこずにしたした。






花の色を青から癜に倉え、同時にツボミも党郚咲かせるこずにしたした。

ここたでの修正䜜業は圓初の予想を超えお二転䞉転し
もっずたくさん写真を撮っおおけば面癜い蚘事になったず残念に思っおいるくらいです。
花の色は、鮮やかな矀青だった時もあり、赀玫だった時もあり
䞀時は青ず癜の咲き分けにしようかず考えたこずもあり
長時間行き぀戻り぀を繰り返しお、ようやく萜ずしどころが芋えおきた段階です。







◆ 加筆・修正  「西陜」 日本画 号 途䞭経過




幎の䜜品です。

かなり倧柄な、ボテッずした花を咲かせるバラです。
これも「颚信子」ず同様の理由から修正するこずにしたした。







党おの圢ず色を明瞭にするために描き起こしを続けおいたす。
特に葉は䞋半分を完党に描き盎し、䞀応圢ず配眮が決たった段階です。




珟圚は、パステルの新䜜点、加筆・修正が点。
日本画の加筆・修正が点進行䞭です。
難しいずは思いたすが、できれば月いっぱいで仕䞊げお
月からは新たな䜜品に取り掛かりたいず願っおいたす。

やはり月は”ピッカピッカの幎生”のシヌズンですから
私もそんな頃に立ち返る぀もりで新たな䞀歩を螏み出したいものです。

え ”ピッカピッカの幎生”ず蚀うには途方もない幎霢的無理があるっお
そう、正確には”ピッカピッカのゞゞむ幎生”ず蚀うべきでしょうか。 きゃはは


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幎 月日 氎曜日  「掲矜の䌚人展」のお知らせ

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お 今月はいやに早いじゃないか どうかしたの

そのように驚かれた方もいらっしゃるず思いたすが
月䞀ブログの月号は、予定よりも半月早く曎新ずなりたした

さぁお、浮いた時間で䜕をしようかな、うひひ。




◆ 牡䞹 パステル 号 最終回




 前回の状態






 「黒牡䞹」 号

花は基本的に倉わっおいたせんが、花匁の明るい郚分を少し増やしおいたす。
前回、竹籠の蔓が少し现く感じたので、鉛筆で若干倪く描き起こしおみたのですが
今床はややゎツく芋え、圩色でたた匱めた結果、前回ずあたり倉わらない状態で萜ち着きたした。
背景の赀味を増やし、竹籠の黄色味も増やしおいたす。






◆加筆・修正  「颚信子」 日本画 号





 前回の状態






 「颚信子」 号倉型

この画像は少しコントラストが高くなっおしたっおいたす。
花の色自䜓はほずんど手を入れおおらず、前回の画像の方が実物の色に近いです。
ヒダシンスは雌しべがあたり芋えないのですが、画面を締めるために入れおみたした。
葉は党䜓に暗く萜ずし、背景の䞋端も少し暗く萜ずしおいたす。






◆ 加筆・修正  「緋の花」 日本画 号





これも「颚信子」や、前回掲茉した「西陜」ず同時期の䜜品です。





 「緋の花」 号

この皮類のバラはツボミが密生し、花の回りを取り囲んで華やかな印象がありたす。
花の手前偎にもツボミを远加し、その印象を匷調しおみたした。
以前ず比べるず「緋の花」ずいう題名の雰囲気に、少しは盞応しくなったような気がしたす。







◆ ゞヌクレヌ䞋地のパステル サムホヌル 点






 「雪林」 長野県・安曇野  写真ベヌス








 「山茶花」  䜜品ベヌス








 「池畔・秋映」 長野県・埡射鹿池  写真ベヌス








 「宿堎」 長野県・海野宿  䜜品ベヌス







ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ



「掲矜の䌚 人展」のご案内

私が講垫を務める長野県諏蚪垂での絵画教宀の、人のメンバヌによる展芧䌚です。
教宀党䜓の展芧䌚は䞀昚幎からスタヌトしお、今幎は第䞉回展が予定されおいたすが
それずは別に少人数の展芧䌚の䌁画もスタヌトしたした。

䜕卒、ご高芧頂けたすようお願い申し䞊げたす。







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