ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「マドンナ・デル・パルト(懐妊の聖母)」
この作品は1992~3年に修復が施され、大きく姿を変えました。
左が修復前の状態、右が修復後の現在の姿です。
■ 左右対称の構図
ところでこの作品、聖母以外の構図が左右対称であることは誰でも分かります。
天使のポーズも、天幕の形も、その模様も、左右を見比べると、とてもよく似ています。
左右対称の構図なのだから似ていて当然と最初は特に気にしていなかったのですが
子細に観察すると、極めて高精度に、コピー&ペーストしたかのようにそっくりなのです。
そこで試しに、聖母を除く右半分の画面をコピーし、それを左右反転して左半分の上に重ねてみたのが下の画像です。
上に置いた画像は不透明度を半分近くまで落として、下の画像の色が透けるようにしてあります。
見事なまでに、ほぼ完璧とも言える精度で一致します。
一見しただけでは、左半分が合成画像であるとは思えないほどです。
全く違う画像を重ね合わせると、何が写っているのか分からないほどボケボケになります。
右半分に比べると多少はボケて鮮鋭度が低くなっていますが
明確に図柄がズレていると認識できるのは天使の下半身、特に足の位置くらいのものです。
ここまで一致するということは、通常の描画方法では考えられません。
先に描いた片一方を見ながら、あるいは計測して描いたとしても、これほどまでに一致させるのは至難の業です。
数学や幾何学に並々ならぬ関心があり、それらに関する著作さえ残している理論派ピエロは、何か特殊な手法を使って描いたのでしょうか。
数学や幾何学を応用した手法で描かれたものならば、その解明は私の手には負えませんが
それらを知らなくとも、一つだけ、すぐに思いつく手法があります。
型紙を使う方法です。
反復する図像を描くために型紙を使うことは珍しいことではありません。
特に細密な装飾文様を描く場合には、一つ一つ手描きで描くよりも、作業効率も、図柄の精度も飛躍的に向上するのは明らかです。
絵画においても、例えば日本画の世界でも、尾形光琳の代表作「燕子花図屏風(根津美術館)」では
燕子花の花の中に、まったく同じ形のものが散見され、型紙を使ったことが知られています。
「マドンナ」も、ここまで完璧に左右対称に描かれているということは
天使も天幕も、一枚の同じ下図から描かれたことを物語っていると言えます。
下図を片方だけ描いて、もう片方はそれを裏返して使っているのです。
いくらピエロでも、左右を別々に描いたら、ここまで一致させることは不可能です。
ピエロは、なぜこのような構図にしたのでしょうか。
型紙を使えば制作時間を節約できます。
それもあると思いますが、それだけの理由なのでしょうか。
*因に、聖母のポーズも多分に左右対称を意識しているものと思われます。
右手をお腹に当てているのは自然ですが、左手は腰に当ててポーズを取っています。
普通は両手をお腹に当てるでしょう。
登場人物が作為的と思えるポーズを取るのがピエロの作品の常ですから
これもピエロ一流の演出かとも思えるのですが
左手を腰に当てることによって、聖母のシルエットは
斜め前を向いているポーズにも関わらず、全体としては左右対称に近くなっているのです。
しかし、今回はこの件に関しては、これ以上は追求しません。
■ 二人の天使は誰と誰か?
天幕を開く二人の天使は、片方を左右反転してもう片方に重ねると、ほぼ完全に重なりました。
これは同じ下図を使って描かれたとしか説明がつきません。
しかし、二人の天使は形は同じですが、衣服・羽・靴の色は違います。
同じ配色では芸がない、別々の天使だから色を変えた…ということでしょうか。
もう一度、先ほどの合成画像をご覧ください。
左の天使の色をご覧になって、何か気づきませんか?
羽も衣服も彩度が落ちてグレーに近くなっている気がしませんか?
靴も、重なっている部分はグレーに近くなっています。
彩度を落とす画像操作はしていません。
両方の天使を重ね合わせると、皮膚以外の色はグレーに近くなった…。
これは重ね合わせた両者の色が補色関係、あるいはそれに近いと言えるのではないでしょうか。
これはマンセルの色相環と呼ばれるもので、相対する位置にある色が補色関係になります。
例えば、左の天使の衣服は緑、薄い黄緑に近い色ですが、大雑把には緑。
緑と補色関係にある色は紫です。
右の天使の衣服は一見茶色に見えますが、天幕の色と比較すると明らかに色相が違います。
天幕の色は茶色と言っていいと思いますが、天使の衣服は紫がかって見えます。
少なくともピエロは茶色とは別の色として使っています。
紫がかってはいますが、これは紫なのでしょうか。
天然顔料が主体であったピエロの時代、彩度の高い紫は存在しなかったはずです。
人造顔料であるコバルトバイオレットのような鮮明な紫色の天然顔料はないのです。
紫は、紫がかった天然の土(代赭・弁柄などの紫味の強いもの)を主に使っていたと思われます。
ですから、右の天使の衣服は紫と解釈しても良さそうです。
マンセルの色相環で似た色を捜すと10Pという色が該当します。
この補色は10GYで黄緑です。
では、左の天使の衣服・羽・靴を色相反転してみましょう。
色相反転とは、色を裏返しにする、つまり補色関係にある色に変換することです。
![]()
一番左が現状、二番目は単純に機械的に色相反転したものです。
衣服と羽と靴をまとめて同時に操作しています。
当然のことながら、衣服は薄い紫になります。
しかし、当時はこのような鮮やかな紫はなかったはずです。
そこで、ピエロが紫として使ったと推測される右の天使の衣服の色に近づけるために
さらに少し色調補正と明度補正を加えてみたのが右の全体図です。
すると、衣服だけではなく羽も靴も右の天使と似た色になりました。
左右の天使は同じになった。
そう言っていいのではないかと思います。
違うのは明度くらいのものです。
色に関して、一つ補足説明をしておきたいことがあります。
左の天使の靴は鮮やかな赤茶色ですが、これは後補の可能性が高いのです。
なぜなら、この色だけが飛び抜けて強く、目立ち過ぎて画面から浮いて見えるからです。
靴の形はかなり欠損していて後補であることが分かっています。
おそらくその際に鮮やかな色を描き加えたものと思われます。
右の天使から推測して、左の天使の靴の色は、羽と同じような色であったろうと思います。
そうなれば、二人の天使の靴の色も、ほぼ一致することになります。
(このことに関しては後述します)
羽の明度が違いますが、この場面は左の方から光が当たっていますので
身体の右側に位置する羽が陰になって暗くなるのは当然なのです。
ピエロは、一枚の下図を裏返して使って天使や天幕を描き
天使の配色では色までをも裏返していると思われるのです。
二人の天使を補色関係にある色で構成しているのです。
もちろん、ピエロの時代に厳密な補色の定義はなかったと思いますが
補色の意味するところは知っていたのではないかと思います。
ですから、ピエロの配色は厳密には補色関係とは言えませんが
感覚的には補色であると言っていいと思います。
絵画は理屈ではなく感覚の産物なのですから。
では、なぜピエロは補色関係にある色を使って配色したのでしょうか。
他にも様々な配色ができたはずです。
少なくとも天使の配色に関して、これが一番魅力的な配色であるとは思えないのです。
ピエロは意図的に補色関係にある色を使って天使を描いたのではないでしょうか。
そのピエロの意図とは何なのでしょうか。
二人の天使を補色関係にある色で構成したということは
左右の天使の服の色・羽の色・靴の色をそれぞれ混ぜ合わせれば、すべて同じ色、グレーになります。(ただし、明度は異なります)
皮膚を除いて、上から下まで全部同じ色になるのです。
二人の天使は顔もポーズもそっくり同じに描かれています。
そこから考えられることは…。
この二人の天使は、同じ天使なのではないか。
二人いるように描いていますが、ピエロは両者を同一の天使が分身したものとして描いたのではないでしょうか。
同一の天使であるならば、同じ配色で描くのが普通かもしれませんが、それでは単純過ぎますから
混色するとグレーになる補色を利用することによって、同一の天使であることを暗示させたように思えるのです。
これは理数系に長けた頭脳派ピエロならではの”遊び心”の成せる業ではないかと思うのです。
聖母に懐妊を告げたのは大天使ガブリエルです。
私は初めてこの絵を見た時から疑問に思っていました。
片方がガブリエルであることは間違いないが、もう一方は誰だろう?と。
この場面を動画風に説明すると、次のようになります。
まず、幕の閉じられた天幕(テント)が建っています。
中にいるのは聖母マリーアと大天使ガブリエルの二人だけです。
聖母の前に立ったガブリエルが幕を開けようとします。
その時ガブリエルの身体は細胞分裂するかのように二つに分かれて
左右に同じスピードで移動しながら静かに幕を開けて行ったのです。
ピエロは、このようなイメージを持っていたのかもしれません。
そのためには、天使を鏡像反転したように、瓜二つの形に描く必要があったのです。
ですから型紙を使ったわけです。
そして、天幕も左右対称ですので、ついでにこれも型紙が使えたのです。
こういう構図に辿り着いたことには、もう一つ理由があると思います。
やはり制作時間の節約を迫られたと思うのです。
当時ピエロは高名な画家で、多忙な日々を送っていたようです。
そこに母親の訃報が飛び込んできました。
ピエロは母親が埋葬された礼拝堂に絵を描きたいと思い立ちましたが、多忙なため充分な時間が取れません。
そこで、作品の質を落とさずに制作時間を短縮できる方法はないかと考えたのです。
そこから生まれた発想が、型紙を多用するこの構図なのではないかと思うのです。
実際、極めて短時間で仕上げられたという伝承もあるのです。
もし、充分な時間があったならば、この作品は別の構図になっていた…かもしれません。
■ 存在感の希薄な聖母の衣服
さて、今度は聖母に関することです。
二人の天使に比べると、聖母の身体はずいぶん平板に見えませんか?
色彩も今一つ精彩がなく、服のシワもあまり見えません。
天使に比べると身体の存在感が希薄で、描写も数段見劣りします。
天使の服を新品だとすると、聖母の服は廃棄寸前の着古しにすら感じられます。
両者があまりにも違うため、聖母だけを別に描いて切り取って貼り付けたように見えてしまいます。
これでは同じ空間に聖母と天使が存在するようには見えません。
もちろんピエロがこのように意図して描いたはずはありません。
なぜ聖母の身体は平板なのでしょうか。
それは絵の具が剥落しているからです。
しかし、天使の衣服には大きな剥落が見られないのに(天使の衣服には後世の加筆がないという前提での話ですが)
なぜ聖母の衣服ばかりが顕著に剥落しているのでしょうか。
ご存知のように、通常のフレスコ画は漆喰壁が乾かない内に水溶きした顔料(絵具)で絵を描きます。
壁が乾くにつれて石灰分が染み出して顔料を覆い、空気中の二酸化炭素と反応して固化します。
つまり絵を壁に閉じ込めてしまうのです。
ですから顔料にメディウム(定着剤)を加える必要がありません。
乾いた画面は、たわしで擦っても色は落ちないのです。
しかし、漆喰の石灰分をメディウムとして使うため、必ず壁が乾く前に描き上げてしまう必要があります。
ですから、その日描ける分だけ漆喰を塗って描くことになり、部分的に仕上げて行くという手法を取ります。
これをジョルナータと言い、イタリア語で一日という意味があります。
これが一般的なフレスコ画法でブォン・フレスコ(Buon Fresco)と言います。
これに対して、乾いてしまった壁に描く画法をフレスコ・セッコ(Fresco secco)と言います。
乾いた壁からは石灰分は染み出てきませんので、顔料の定着にはメディウムを加える必要があります。
フレスコ・セッコ画法とは、言い換えればテンペラ画法のことなのです。
狭義のテンペラ画法は、卵の黄身などをメディウムとして使うヨーロッパ伝統の技法を指しますが
広義では、顔料にメディウムを加えて定着させる画法は全てテンペラ画法と言えます。
聖母の衣服は薄い青を使ってブォン・フレスコで描かれた後
濃い青を使ったフレスコ・セッコ画法で仕上げられた可能性があります。
顕著な剥落が見られるのは、聖母の衣服と天幕の右側です。
何らかの理由でこの二ヶ所だけがブォン・フレスコで一通り描いた後
さらにフレスコ・セッコで仕上げられたのだと思われます。
ブォン・フレスコで描かれたものは、顔料が壁と一体化していますので
壁が劣化しない限り、顔料だけが剥落することはありません。
しかし、フレスコ・セッコでは顔料が壁の表面に乗っているだけです。
ですから剥落の危険度は壁の劣化とは関係なく、油絵などの他の絵画と同等なのです。
聖母の衣服の裾の部分には鮮やかな濃い青が残っている部分もありますので
全体にもっと彩度の高い濃い青色をしていたのです。
衣服のシワも含めて、ほとんどがフレスコ・セッコで仕上げられたために、青い顔料と共に剥落したのでしょう。
この青い顔料はアフガニスタンが産地として有名なラピスラズリだと言われています。
いわゆる天然ウルトラマリン・ブルーです。
因に、日本画の群青は藍銅鉱(らんどうこう:アズライト)という鉱物です。
では、フレスコ・セッコで仕上げたものであるならば、なぜそうしたのでしょうか。
これには私なりの答えを出せないでいます。
可能性としては、聖母の衣服を描く段階で中断があったということが考えられます。
何らかの事情でピエロが現場を離れることになり
一通り薄い青で衣服を下描き的に描いておき、戻ってから濃い青で仕上げた…というようなことです。
しかし、何となくピンときません。
もし、すべてブォン・フレスコで仕上げたものであれば、剥落の理由に一つ可能性があります。
顔料の粒子の粗さによって自然に剥落したという可能性です。
濃い青、つまり濃いラピスラズリは粒子が粗いのですが
粗い粒子の顔料が、細かい粒子の顔料と同様に壁に定着するのか?という疑問があるです。
定着性が悪ければ自然に剥落する可能性があります。
テンペラ画法では粗い粒子の方が定着性が悪いのです。
ですから、その可能性もあるかなと思うのですが
私はフレスコ画は専門ではありませんので、その点は何とも言えないのです。
画像で見る限り、この濃い青は日本画用の11番くらいの粒子に思えます。
11番というのは、粗いことは粗いのですが、特別粗いとも言えない微妙な粒子なのです。
因に、フレスコ画では鮮やかな青で描かれた部分が剥落しているケースが多くあります。
それは第1回に掲載したジョットの作品にも見られます。
画面中央でロバにまたがる聖母の衣服です。
少しだけ青い色が残っています。
聖母の衣服は、赤い服の上に青い服を重ね着しているものが多いのです。
このジョットの聖母も、元々はその配色だったものが、青い色だけ剥落してしまったのです。
青の下にある服の色や描写はしっかり残っていますので
この青は明らかに壁が乾いた後にフレスコ・セッコで描かれたものだと思います。
その他の剥落の理由としては、聖母を礼拝に来た妊婦達が触っていたのではないかとも考えましたが
普通、人が触る場所は偏りがちで、「マドンナ」の場合は、当然お腹のあたりということになるでしょう。
しかし、剥落は衣服全面にほぼ均等に見られますので、それも少々現実的ではないなと思うのです。
…と言うようなことで、今のところ濃い青をフレスコ・セッコで仕上げた適当な理由が見つからないのです。
さて、剥落しているのなら本来の衣服はどのようなものだったのでしょうか。
これを元通りに復元するのは無理ですので、お手軽にできる程度の簡単な画像操作をしてみました。
単純に聖母の衣服の彩度を上げてみただけです。
まぁ、雰囲気として、200年前だったらこんな感じかな?という程度ですが
これだけでも聖母の存在感がグッと増しています。
当初は天使と同レベルの描写がされていたはずです。
さきほど、左の天使の靴の色は鮮やか過ぎて後補の可能性が高いと言いましたが
聖母の存在感が上がりましたので彩度を落としてみましょう。
少しぼんやりとさせ過ぎてしまいました。
右の天使の衣服は強く見えますので、画面のバランス上、靴はもっと強く見えるようにするべきでした。
しかし、こちらの方がずっと全体がスッキリ見え、自然と聖母に視線が集まるようになります。
聖母がこの絵の主人公であることを、より明確にしてくれると思います。
さて、聖母だけに復元もどきの画像操作を施してみましたが、こういう風に時間を遡るようなことを試してみると
やはり当初の「マドンナ」全体がどのようなものだったのかが気になってきます。
そして、それ以前に、なぜこれほどまでに損傷してしまったのかが気になります。
次回第三回では、描かれてから今日まで「マドンナ」が辿った歴史を振り返ってみようと思います。
特に「マドンナ」が大きく損傷してしまった原因に主眼を置きます。
この損傷はとても奇妙です。
私にはそう思えるのです。
そこには何か意外な事実が隠されているような気がしているのです。
-------------- Ichiro Futatsugi.■