◆ 小下図 カルチェリの礼拝堂 4号大 ( 30 × 22 cm )
イタリア・アッシジ旧市街から約4kmほど離れたエーレモ・デッレ・カルチェリ修道院は
アッシジの聖人フランチェスコが一人籠って祈りを捧げた洞窟のあった場所です。
スバシオ山腹の急斜面に建つ修道院は、まさにポツンと一軒屋そのもの。
その最も奧に位置するのが、このサンタ・マリーア・マッダレーナ礼拝堂です。
小さくて地味ではありますが、大好きな礼拝堂の一つです。
私が訪れたのは30年前の12月で、5日間のアッシジ連泊の内で最も冷え込んだ日でした。
スケッチの際、鉛筆を持つ指がかじかんで困ったのを覚えています。
バス便は無いので、行きはタクシー、帰りはウンブリアのパノラマを眺めながら歩いたものです。
ただ、当時はこの礼拝堂に興味は湧かず、スケッチは修道院本体のみ。
後日、写真を見ていて良さに気づき、4号くらいで描いた記憶があります。
取材時には見逃し、後になって後悔することは、よくあることです。
本番では15〜20号で描く予定です。
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ドローイングペンでの描き起こしが一段落したところです。
礼拝堂の石組みは、彩色で薄くなることを考慮して意識的に強く描いています。
彩色後の色調はやや暖色系にする予定で、その下塗り代わりとして…と言ってはなんですが
構想画像をプリントした際に、僅かに青味を強くしています。
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下図は一応ここまでとし、後は本番で更に検討を重ねながら描いて行きます。
この礼拝堂は、修道院本体からは独立した”離れ”になっています。
ただし、急斜面の狭小な敷地ゆえ、その距離は3〜4m程度で
午後になると、このように修道院本体の影が映る場合があるのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本日のおまけ
前回、今回、共にキリスト教の聖地アッシジに関連した記事でしたので
今日は、キリスト教音楽系のシンガー・ソング・ライター オードリー・アサドの「I Wonder as I Wander」を。
この曲は、1930年頃に作曲家で歌手のジョン・ジェイコブ・ナイルズが
アメリカに伝承されて来た古い民謡の一部を元にして作ったものだそうです。
オードリーをはじめ、多くのミュージシャンにカヴァーされています。
I Wonder as I Wander - Audrey Assad
------------- Ichiro Futatsugi.■
イタリア・アッシジ旧市街から約4kmほど離れたエーレモ・デッレ・カルチェリ修道院は
アッシジの聖人フランチェスコが一人籠って祈りを捧げた洞窟のあった場所です。
スバシオ山腹の急斜面に建つ修道院は、まさにポツンと一軒屋そのもの。
その最も奧に位置するのが、このサンタ・マリーア・マッダレーナ礼拝堂です。
小さくて地味ではありますが、大好きな礼拝堂の一つです。
私が訪れたのは30年前の12月で、5日間のアッシジ連泊の内で最も冷え込んだ日でした。
スケッチの際、鉛筆を持つ指がかじかんで困ったのを覚えています。
バス便は無いので、行きはタクシー、帰りはウンブリアのパノラマを眺めながら歩いたものです。
ただ、当時はこの礼拝堂に興味は湧かず、スケッチは修道院本体のみ。
後日、写真を見ていて良さに気づき、4号くらいで描いた記憶があります。
取材時には見逃し、後になって後悔することは、よくあることです。
本番では15〜20号で描く予定です。

ドローイングペンでの描き起こしが一段落したところです。
礼拝堂の石組みは、彩色で薄くなることを考慮して意識的に強く描いています。
彩色後の色調はやや暖色系にする予定で、その下塗り代わりとして…と言ってはなんですが
構想画像をプリントした際に、僅かに青味を強くしています。

下図は一応ここまでとし、後は本番で更に検討を重ねながら描いて行きます。
この礼拝堂は、修道院本体からは独立した”離れ”になっています。
ただし、急斜面の狭小な敷地ゆえ、その距離は3〜4m程度で
午後になると、このように修道院本体の影が映る場合があるのです。
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本日のおまけ
前回、今回、共にキリスト教の聖地アッシジに関連した記事でしたので
今日は、キリスト教音楽系のシンガー・ソング・ライター オードリー・アサドの「I Wonder as I Wander」を。
この曲は、1930年頃に作曲家で歌手のジョン・ジェイコブ・ナイルズが
アメリカに伝承されて来た古い民謡の一部を元にして作ったものだそうです。
オードリーをはじめ、多くのミュージシャンにカヴァーされています。
I Wonder as I Wander - Audrey Assad
------------- Ichiro Futatsugi.■