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三役、揃い踏み

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「三役って、俺たちのことか?」
「だろうな」
「三匹いるから、相撲の三役に例えたんだろ」
「俺たちゃ力士か?」
「俺たちを集めて、ご主人は何を書こうとしているんだ?」
「さあ…」
「でも、俺たちが集まるのは今日が初めてだよな」



「俺はポチって言うんだが、お前は?」


「え?俺もポチだぜ」


「俺だってポチだよ」

「何だよ、全員ポチかよ。紛らわしいな」
「”ワン”パターンだな」
「…それって駄洒落か?」
「ポチ!って呼ばれたら誰が返事するんだ?」
「呼ばれたって、返事ができない。近寄っても行けない」
「だな…」
「じゃあ、同じ名前でもいいか」
「だけど、ポチなんて古臭い名前だよな。花咲爺さんの時代だぜ」
「裏の畑でポチが鳴くってか?」
「名付け親の素質はなさそうだな」
「普通は違う名前にするだろ?何考えてるんだろうな」
「何も考えてないから同じ名前なんじゃないのか?」
「ご主人のポリシーだそうだ。犬は柴、名前はポチ。これで決まりってね」


「柴?お前たちは柴だけど、俺はミニチュア・ダックスだぜ」

「ポリシーなんて偉そうなこと言っても、所詮そんな程度なのさ」
「要するに節操がないってことだな」

「ところで、ぬいぐるみよ。お前はここに来たばかりだよな」
「ああ、先週だ」
「どこから来たんだ?」
「松本の眼鏡屋だよ」
「最近の眼鏡屋はぬいぐるみも売っているのか?」
「俺の仕事はこういうことさ」



「げっ!お前は眼鏡を食うのか?」
「食うか!眼鏡スタンドだよ」
「それで蝦蟇口みたいに口がでかいのか」
「ほれ、こういうこともできるんだぜ」



「ほお〜。お前、ご主人の仕事を手伝ってやったら?」
「ここだけの話だがな。実は俺の方が絵は上手いんだ」
「しっ!声が大きい。聞こえるぞ」

「木彫はどこから来たんだ?」


「松本の人形作家の作品なんだ。ご主人の知人からのプレゼントでここに来た」

「ガラスはどこから来たんだ?」


「俺はSUWAガラスの里ってところだ。諏訪湖畔にあるガラス工房なんだ」


「ところで、最初の疑問に戻るが、ご主人はなんでこの記事を書いているんだ?」
「さあ…」
「何か意味があるのか?」
「さあ…」
「こんな記事を書いてていいのか?暇なのか?」
「ちょっと息抜きがしたいんだと」
「忙しかったのか?」
「ここんとこ仕事に集中していて記事を書いていなかっただろ?」
「4、5日前に書いてたじゃないか」
「あれは政治家の放言にブチ切れして思わず書いてしまったんだそうだ。えらく怒ってたからな」
「書いてスッキリしたんじゃないのか?」
「不味いものを食べて胸焼けしてるような気分なんだそうだ」
「へえ、それで口直しってことか」
「口直し?俺たちゃドルチェか?」
「ドルチェさ」
「は?木とガラスと布だぜ。煮ても焼いても不味くて食えんぞ」
「食うためのドルチェじゃない。ここにいるだけでドルチェになるんだそうだ」
「ここにいるだけ?いるだけでいいのか?」
「いるだけでいいのかって、お前には他に何かできるのか?」
「できん…」
「それでいいんだ。俺たちはここにいるだけでいいんだ」
「ふ〜ん。人間って変わってるんだな」
「寂しいんだろうよ」
「寂しい?ご主人が?あの顔で?」
「顔はご主人に責任はない。生まれつきだからな」
「おい、そういう話は小声でしろ。ご主人がこっちを睨んでるぞ」

「へえ〜。ご主人は寂しいのか」
「人間は、み〜んなそういうものらしい」
「ぬいぐるみよ。たまにはご主人に尻尾を振ってやったらどうだ?喜ぶぞ」
「俺(木彫)とガラスは尻尾を振りたくても、硬くて振れないからな」
「無理言うな。布でできているけど、神経も筋肉もないんだ」



「お、そろそろ記事が書きあがるようだぜ」
「じゃあ、俺たち、また持ち場に戻るんだな」
「ああ、お別れだな」
「元気でな。またいつか集まろうぜ。ご主人の気分次第だけどな」
「俺たちだけじゃ集まれないからな」
「じゃあ、みんな!達者でな!」


「で、結局ご主人は何が書きたかったんだ?」

-------------- Ichiro Futatsugi.■


迷い猫「ポヤ」

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暑中お見舞い申し上げます。


今から25年ほど前のこと。
玄関の方向から、何やら猫の鳴き声らしきものが聞こえてきました。
空耳かな?と思いながら玄関を開けてみると
3メートルほど離れて、一匹の猫が佇んでいました。

「ニャ〜」

じっと私を見つめて、逃げる素振りもありません。

「あれ?お前、どこから来たの?」
「ニャ〜」
「お前、ノラか?」
「ニャ〜」
「…」
「ニャ〜」
「入るか?」
「ニャ〜」

私は猫語がわかりませんので、返事がイエスなのかノーなのか見当もつきません。
玄関で猫相手に見つめ合っていても仕方がないので、とりあえず中に入れることにしました。

のそりのそりと悠長な足取りで足も拭かずに部屋の中に入り込み、ドカッと腰を降ろします。
オドオドしたところは微塵もなく、ぐるりと部屋を眺め回して「ふ〜ん」というような顔をしています。
私の方が不意の来客に少し畏まってしまって、何か食べ物はないか捜しながら猫の様子を窺います。

その猫は毛並みの良い、綺麗な肉球をした三毛猫で、おそらくどこかの飼い猫なのでしょう。
少しメタボがかった体型から、どうやら他に何軒かの家を渡り歩いているように見えました。
人間社会の中で巧妙に生き抜く知恵を備えた賢い猫だったようです。
万事ゆったりとした身のこなしで、少し虚ろな視線を送ってくることから
「ボヤっとした」という言葉の「ボヤ」を少しだけ変えて、我が家での名前は「ポヤ」になりました。

ポヤは何をするでもなく、ほとんど居眠りをして過ごしていました。
あまり動かないことをこれ幸いに、私はスケッチブックを取り出しました。





ポヤは最初畳の上で昼寝していましたが、一度私が胡坐をかいてポヤを中に入れたところ
それが病みつきになったらしく、私が胡坐をかくたびにノソっと入り込んで居眠りを始めるのです。
懐いてくれるのは嬉しいのですが、こうなると私は身動きがとれません。

ポヤは涼しい顔をして寝息を立てています。
しばらくすると、私の足が痺れてきます。
お尻も痛くなってきます。
トイレにも行きたくなってきます。
しかし、ポヤが気持ち良さそうに眠っています。

「どうしよう…」

せっかく懐いてくれた猫の機嫌を損なうことを何より恐れる小心者の私は
ポヤに遠慮して、そのままじっと胡坐をかき続けます。

「すみません、ポヤさん。ちょっとどいていただけますか?」
「…」

いよいよトイレが我慢できなくなると、そお〜っとポヤを抱き上げて座布団の上に移します。

「すぐ戻りますので」
「ん …」

私はパッとトイレに行って、サッと戻って、また胡坐をかきます。
そして座布団の上でぼんやりしているポヤを抱き上げて、胡坐の中へ戻します。

「さあ、さあ、ポヤさん。どうぞ、どうぞ」
「お …」

ポヤは前足で座り心地を確かめてから、再び丸くなって目を閉じます。



ポヤを飼ったわけではありません。
フラリとやってきては、おやつを食べて昼寝をして帰っていく。
しばらくそんな状態が続きました。


しかし、当時暮らしていたアパートはペット禁止です。
他の住人の手前、このまま居ついてしまっても困ります。
私はポヤを部屋の中に入れないことに決めました。

「ニャ〜」

いつものようにポヤの声が玄関の外から聞こえます。

「ニャ〜」
「…」

やはりそれが何日か続きましたが、やがてポヤの声は聞こえなくなりました。

ポヤはいつも毛並みが整っていて綺麗でした。
本来の飼い主がいたはずですし、”別宅”が他にもあったでしょう。
賢いポヤのことですから、その後も上手く立ち回って穏やかに暮らしたのだと思います。
あれから25年経っていますので、ポヤはとっくに鬼籍に入ったはずです。

猫は20歳を過ぎると、尻尾の先が二つに割れ、人の心を読み、妖術を使えるようになるそうです。
それを「猫叉」と言うのだそうです。

もしポヤが今でも元気でいて猫叉になっているとしたら
人の心が読めるようになっているはずですから
ひょっとしたら日本語を話せるようにもなっているかもしれません。
私は相変わらず猫語はわかりませんので、喋れるようになったポヤに聞いてみたいものです。

「うちに通っていた頃は楽しかったか?」

果たしてポヤは何と答えるでしょう。
大の犬党、柴犬党の私ですが、猫も負けず劣らず大好きなのです。
私に懐いてくれた数少ない猫であるポヤとの日々は天国でした。

私の夢想の中で、ポヤの瞳が少女マンガの主人公のように輝き出します。
そのキラキラした瞳で、私をじっと見つめます。
私も白馬の騎士のような瞳になって、ポヤをじっと見つめ返します。
そしてポヤの一言を、期待に胸を膨らませながら待ちます。

「楽しかったかい?ポヤ」
「ん …」

あら?

-------------- Ichiro Futatsugi.■

7月24日 日曜日

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今、私は珍しく下図を描いています。
普段は下図なしで、本紙にいきなり鉛筆を使って下描きを始めるのですが
さすがに今回はそうもいかず、久しぶりに下図を描くことにしました。

それは、実在しない架空の街を創作して50号で描こうとしているからなのです。
私は基本的に実在の風景や建造物を描いてきました。
もちろん絵ですから多少の脚色はありますが、自分の目で見てきた実景をベースとしたものでした。

今回描こうとしているのは、岩の台地の上に造られた”岩上の街”。
浸食作用などによって周囲が削り取られて残った台地の上に築かれた街です。
発想の原点となったのは、イタリア・ラツィオ州にあるチヴィタ・ディ・バーニョレージョという小さな岩上の街。
首都ローマのあるラツィオ州の最北部、ウンブリア州やトスカーナ州との州境に近い田舎街(と言うより村)です。
このチヴィタの近隣には岩上の街がいくつか存在しています。
最も有名なものは、イタリアでも有数の規模を誇るウンブリア州のオルヴィエートでしょう。

チヴィタは、そのまま描いてしまいたいほど美しい街なのですが
私のイメージしているものよりずっと小さいのです。
と言って、オルヴィエートでは巨大過ぎます。
ならば自分で創るしかない…。

私が実際に目にしたことのある岩上の街はオルヴィエートだけです。
しかも街の中ばかり取材していて、外観となると資料は皆無に近い有様。
小高い丘や山の尾根に造られた一般の丘陵都市を元にして創作することも可能ですが
やはり実際に見てきたような気分になって描くためにはモデル(写真)が是非とも欲しいところです。

そこで頭に浮かんだのは…
リンクさせていただいているブログ”イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!”です。
作者でイタリア在住のshinkaiさんは抜群の行動力でイタリア各地(だけではありませんが)を取材し
それを2〜3日おきのハイペースで、写真を主体とした記事にしていらっしゃいます。
写真の腕前も並々ならぬものをお持ちで、いつも私は食い入るように眺めているのです。
shinkaiさんは昨年イタリア中部を旅されていて
チヴィタや近隣の街ピティリアーノ(トスカーナ州)などの岩上の街の記事を書いていらっしゃいます。
実を言えば、私が岩上の街を描こうと思い立ったきっかけは、その記事なのです。
で、そこに掲載されている写真を参考にさせていただこうと…。

ブログの写真を参考にさせていただきますとshinkaiさんにお話したところ
思いがけず、しかも間髪を入れずにドドドーっと多数の写真が送られてきました。
ブログに掲載されたもの、されなかったものも含めて、いずれもブログよりずっと大きいサイズばかりで
中には幅4000ピクセルを超えるものもあり、細部まで良く見えて、その場にいるかのような錯覚を起こすほどです。
ああ、ありがたや!ありがたや!
神様!仏様!shinkai様!
感謝!感激!雨・霰!
これからはイタリアに足を向けて寝れませんね。

チヴィタと近隣の街ピティリアーノなどについては、是非shinkaiさんのブログをご覧ください。

チヴィタ・ディ・バーニョレージョ・天空の町1
http://italiashio.exblog.jp/12660510

チヴィタ・ディ・バーニョレージョ・天空の町2
http://italiashio.exblog.jp/12660357

イタリア中部紀行 2010年秋 その5
http://italiashio.exblog.jp/12045646



さて、今回から久しぶりに制作過程を掲載することにしました。

今描いている下図は10号ほどの大きさです。
原寸大の下図は作りません。




街並みを一通り描いた2〜3日前の状態です。
横構図で描いていますが、まだ横にするのか縦にするのかも決めていません。

私のイメージは、あくまでイタリア中部の田舎によくある素朴な街並みです。
あまり凝った建物は入れません。
台地の上ですから、街並みはほぼ水平です。
そこにニョッキリと、ロマネスク様式の質素な鐘楼が立っているという想定です。

この街並みは、まだ最終案ではありません。
一応基本形ができたかな…というところです。
50号に引き伸ばせば、それだけで印象が変わりますので
今後、適宜修正を加えて行きます。

下の岩盤をあまり描いていませんが、この高さをどの程度にするかで迷いが出て一時停止したのです。
思い切ってもっと高くして縦構図にするのも面白いかもしれません。
逆に半分くらいの高さにして空を広くとるという手もあります…。

でも、まあ、悩む前にこのまま岩盤まで描くことにしました。
手を動かしながら考えないと、絵は先には進みませんので。




岩盤ができてきました。
この岩盤は、内陸部の岩上の街ばかりではなく、海辺の岩場も参考にしています。
ナポリの南にあるソレントの岩場やカプリ島など、昔取材したスケッチや写真を引っ張り出しました。
shinkaiさんのブログにも岩場の写真がいくつかありましたし…。
しかし、構図はまだ迷っています。
こういう構図が当初からの予定なのですが…。



さて、この下図はここで終わりにします。
まだ描き足りないところがあるのですが、これ以上緻密に描いてしまうと
50号に引き伸ばす際に、下図を模写すればいいやという気持ちが起こってしまうのです。
それは、あまり良いことではありません。
この下図をベースにすることはもちろんなのですが
もう一度再検討しながら新たにデッサンをやり直すくらいの気概が必要だと思います。
そうしないと生気のない作品になってしまうような気がするのです。
そのためにも、私は原寸大の下図は作らないのです。

今後は、この下図を下敷きにして、もっと小さいサイズの下図で構図を決めます。
それが終われば、いよいよ50号の本紙に描き始めることになります。

それでは、また次回に。

-------------- Ichiro Futatsugi.■

7月31日 日曜日

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50号の「岩上の街」(仮題)の下図作成を続けることにしました。
下図は前回までで終わりにして本番の50号に移るつもりでしたが
もう少し私の抱いているイメージを具体化しておきたくなったのです。

この作品には描こうと決めた当初から、はっきりとした方針がありました。
夜景にする!
そのためには、鉛筆の下図だけでは少し不安になったのです。


それでは、ここからは私が普段しているようにパソコンで画像処理をしながら検討していきます。
私がスケッチや写真をデジタル加工して下図代わりにしていることは以前にも紹介しました。
歳とともに硬くなる脳ミソを少しでも柔軟に保つために刺激を与え
新たな発見を促すためにしているのです。
デジタル加工するとは言っても、SF映画のような画面を創ろうとしているわけではありません。
あくまで、描き始める前から頭にあった完成イメージを視覚化し煮詰めていくことが目的です。


これが前回の状態です。
これを夜景化するのですが、その前に少しだけ修正を加えます。
それが下の図です。


色合いの違いは関係ありません。
一見しただけでは、どこが変わったのかわからないと思います。
街並みの両端を少しだけ変更しています。
左端の建物の形を変え、右端の木立を少し下げています。


これは崖を引き伸ばして高くしてみたものです。
こういう構図も面白いのですが、今回の私のイメージとは合わないようで却下です。



では、ここから夜景化する作業を始めます。
まずは階調を反転してみます。



下図を描いていて、昼間の情景も捨てがたいと迷いが出ましたが
これを見ると、やはり私には夜景の方がしっくりきます。

これは単純に階調を反転しているだけですので、見るからにネガそのものです。
独特の迫力はありますが、夜景と言うには違和感があります。
そこでこれをベースにして、さらに加工していきます。


夜景案A

鐘楼を明るくして、崖にモヤのようなボカシを入れただけのものです。
街並みや崖は、まったく手をつけていません。
それでも、これだけで私の当初のイメージにだいぶ近づいてきました。



夜景案B

反転したものと鉛筆の下図を合成して、適当に窓明かりを入れてみたものです。
街並みと崖は自然な感じにはなりましたが、反転したものと比べて平板で迫力はありません。
しかし全体としては、これも悪くはありません。
A案とB案を足して2で割ったようなものが良いようです。


さて、これで形や雰囲気は目途が立ちました。
色彩はモノクロベースで若干の色味を加えるという基本方針をすでに決めています。
色彩を検討するための下図は必要ないと思いましたが
ちょっとお遊びのようなことをしてみました。


これは夜景案Aを和紙にカラー印刷設定でプリントアウトし
筆に水だけを含ませて、印刷されたインクを溶かして描いたものです。
一般的な家庭用インクジェットプリンタは染料インクで、水に弱く溶けて滲んでしまいます。
その性質を利用して水彩画風にしてみました。
細部は予想通りほとんど消えてしまいましたが、全体の色調は私のイメージに近いものができました。
これは偶然にできたものですが、偶然にできたものでも使えるものは使うというのが私のやり方です。
本番の彩色では、これも参考にしていきます。


これで、おおよその方針が定まりました。
鉛筆の下図では空が少し広すぎるように感じましたが、構図もこれで大丈夫のようです。
本番の50号では、A案とB案の良い所を取るような感じで描いていきます。
もちろん街並みの形や崖の形はまだ原案に過ぎませんので
今後も実在のものを参考にしながら更に修正していきます。

-------------- Ichiro Futatsugi.■

個展のご案内・7 長野・松本市梓川アカデミア館

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長野県松本市の多目的展示施設「梓川アカデミア館」にて
久しぶりの個展を開催させていただくこととなりました。
2006年以来の開催となります。
梓川アカデミア館は、私の故郷である旧・梓川村にあります。

2005年4月の通称”平成の大合併”以前、私の故郷は「南安曇郡梓川村」という行政区分でした。
「南安曇郡梓川村」は、私が生まれる約1年前の1955年4月に
「南安曇郡梓村」と「南安曇郡倭(やまと)村」が合併して発足。
そして平成の大合併で松本市に編入合併して、現在は「松本市梓川」と呼ばれています。

旧・梓川村は、北アルプスの景勝地上高地に水源を持つ梓川の北岸に位置します。
松本市街の、ほぼ真西に当たります。
梓川以北、おおむね大町市あたりまでを安曇野と称しますので、その最南端ということになります。
梓川は、旧・梓川村を抜けたあたりで木曾から流れ来る奈良井川と合流
その後長野市で千曲川と合流し、最終的には日本最長の河川「信濃川」となって日本海に至ります。


今回の個展は平日の3日間という、変則的で短期間の開催となります。
なお、当初私は3日間会場にいる予定にしておりましたが
よんどころない事情がありまして、初日のみで失礼させていただくこととなりました。
場合によりましては、まったく会場に行けなくなることもあるかもしれません。
どうぞご了承いただきたく存じます。

何卒ご高覧賜りますようお願い申し上げます。

-------------- Ichiro Futatsugi.■




■松本市梓川アカデミア館
〒390-1701 長野県松本市梓川倭566‐12

梓川アカデミア館周辺地図(グーグル)
梓川アカデミア館ホームページ
梓川アカデミア館からのお知らせ(FC2ブログ)

個展の御礼

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長野県松本市の梓川アカデミア館での個展は本日終了いたしました。
お忙しい中、ご来場いただきました皆様に厚く御礼申し上げます。

今回は平日の3日間という特殊な開催期間で、しかも安曇野では農繁期であったにもかかわらず
思いがけず初日から多数の皆様のご来場を賜りました。
私は事情があって初日しか会場にいることができませんでしたので
2日目、3日目にご来場いただきました皆様には大変失礼をいたしました。

久しぶりにお会いする方、初めてお目にかかる方
多くの方々と歓談する楽しい時間を持てたことが
今の私には大きな励みとなりました。
今年は年頭から様々な出来事が重なり
残すところ3か月弱となった現在でもまだ一段落には遠く
制作の方も中断、また中断の日々が続いております。
今回、皆様から暖かいご声援をいただきましたので
心折れることなく、また今日も、明日も、明後日も
私にできることを、私のすべきことを
イタリアの教会の壁の石のように
一つ一つ、コツコツと、無心で積み上げて行くだけと
改めて身を引き締めております。




次回の個展は、今のところ来年10月に松本市・ギャラリー井上を予定しております。
また皆様とお会いできることを楽しみにしておりますし
私も、少しでも新たな一歩を皆様にご覧いただけるように精進してまいります。
是非またご来場いただけますよう、心よりお願い申し上げます。

ありがとうございました!

-------------- Ichiro Futatsugi.■

10月18日 火曜日

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イタリア中部に点在する、岩の台地の上に造られた街。
オルヴィエートやチヴィタ・ディ・バーニョレージョなどがよく知られています。
そんな実在の街を参考にしながら架空の街の夜景を50号で描いています。
前回、7月末の段階では下図まででしたが
8月以降は制作を中断することが多くなってしまいました。
10月に入って、個展が終わって、ようやく本格的に再開です。


前回掲載した、鉛筆による6号くらいの下図です。
台地や街の基本形を考えるためのものです。

これを基にして、50号に下描きをしていきます。
しかし、単純に下図を引き伸ばすだけではありません。
画面が大きくなると、それだけで印象が変わってきますので
イメージに合わない部分は躊躇なく変更を加えていきます。

本紙(本番の紙:和紙)は50号Pというサイズです。
横116.7cm、縦80.3cm。

以前にも書きましたが、普段私は原寸大の下図はまず作りません。
本紙の下描きは、直接鉛筆で描いていきます。



これはパソコンで下図の画像と自作の16分割線を表示するアプリケーションを重ねあわせ
そのモニター画面をキャプチャして、A4サイズにプリントしたものです。
本紙にも16分割線を描き入れて、このプリントを見ながら引き伸ばしていきます。


下描きが一応終了しました。

下図に比べると、街並みの高さを低くしています。
相対的に崖の面積が増えました。
下描きは、いつものように鉛筆・水彩・薄墨を使っています。

彩色に入る前に、最初に捨て膠(膠水だけを塗る)という作業をしておきます。
今回は鉛筆を多用したため、本紙の表面がいつもより痛んでいます。
修正を重ねて毛羽立ったり、鉛筆で押さえられて凹んだりしています。
膠水が鉛筆を定着させると同時に、痛んだ表面をある程度整えてくれるのです。


彩色(下塗り)の開始です。

まずは、とりあえず空を暗くします。
絵具は、岩黒11番+岩黒13番+アイボリーブラックです。
暗くするだけですので、まだ微妙な色調などは考えていません。



街や崖は下描きのままですので、一気にコントラストが高くなりました。
私の作品は霧がかかったようなボンヤリとしたものが多いので
最初は強めに描いておかないと、画面の芯がなくなってしまうような気がするのです。

この後は崖や街に固有色に近い色を置いて
画面全体に一通り色を入れてしまいます。
そこまでは、いつもの私のやり方なのですが…

それ以降、今回は少しだけ彩色法を変えてみようと思っています。

-------------- Ichiro Futatsugi.■

10月20日 木曜日

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台地の上の街の続きです。
全面に色が入りました。
最初は固有色に近い色を置くのが私の常です。



街並みと崖は、まったく同じ色を使っています。
岩黄土の13番、方解末の11番、岱赭(たいしゃ:赤茶色)などを混ぜたものです。
樹木は、岩鼠の11番、鶯色の11番、青口緑青の11番、方解末の11番などを混ぜています。
薄っすらと塗っただけですので、下描きの鉛筆や水彩が透けて見えています。
空には水色群青の11番を少し追加しています。
全面に色が入って一息。
ここまでは私にとっては下描きの延長、下準備なのです。

従来ですと、最初に暗めの絵具で少し凸凹したマチエールを作ります。
そして刷毛を使って、その凸凹を埋めていくように大雑把な彩色を始めます。
しかし、今回はその手法を全く行っていません。
よりオーソドックスに、下描きを生かして薄塗りで描写しようと考えています。



全体に少しずつ明度を落としながら夜の雰囲気に近づけていきます。
同時に、崖や街並みを描写していきます。
岩黒13番、濃鼠13番、アイボリーブラック、バーントアンバーなどを使っています。

おつゆ描きと言えるほど薄めた絵具で描いていますので
崖や街並みの明るい部分は紙の色が透けて明るく見えているのです。
従来の手法ですと、この段階では何が描いてあるのか判らないくらい形が潰れるところですが
何だか、仕上げ間近のような雰囲気になっています。

今後しばらくは、ひたすら描写していきます。

-------------- Ichiro Futatsugi.■




10月23日 日曜日

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岩の台地の上の街。
今までとは描き方を変え、早い段階から描写することを主体にしています。


これは前回の状態。


薄めた絵具で、とにかく描写、ひたすら描写の数日間。


こちらが本日の様子。

本日の画像は少々コントラストが低くなっていますが
画像補正をあまり厳密にしていませんので、このような結果になってしまいました。
画面は徐々に暗くなっています。

このあたりで、夜景の華である窓明かりやライトアップの光を入れ始めています。


教会付近の拡大図です。

灯は、この段階ではすべて色鉛筆を使っています。
光の明るさや位置、範囲を決めるための下描きなのです。
一応決まったら絵具で描いていきます。


街並みと崖の境目あたりの拡大図です。

いつもよりカサカサした、粗い絵具を使ったような質感で描いています。
しかし絵具の粒子は最高でも11番です。


崖の拡大図です。

細部の描写はハッチング(線の集積)で描いています。
厚塗りしているように見えますが
紙の白や鉛筆の下描きが透けて見えるほどの薄塗りなのです。


さて、だいぶ仕上がりに近くなっているように見えますが
まだ私のイメージとは少し違います。
窓明かりやライトアップはもっと強く、崖や街並みはもっと暗くするつもりです。
どこまで暗くできるか…それが今回の課題の一つでもあるのです。

-------------- Ichiro Futatsugi.■


10月28日 金曜日

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自動書記。

本人の意思とは関係なく、手が勝手に動いて何かを書く。
超自然現象の世界ではよく聞く言葉です。

今の私は、まさに自動書記状態。
もちろん自分の意志で絵を描いているわけですから
自分の意思と無関係に手が動くというのは正確ではないのですが…。
最近の私の描いている姿を傍から見れば
自動書記をしているように見えるかもしれません。
素直に、自分のやり方で描写に徹することを今まで以上に実行していますので
迷うことが少なく、自分でも驚くほど手が動いています。


岩の台地の街の続きです。

街明かりは、まだ色鉛筆を使って描いていますが
そろそろ絵具で描き起こす段階に来ているように思います。
崖も、相変わらずハッチングや点描のようなコマゴマとした描写をひたすら重ねています。

夜は、仕事場の窓から絶えず夜景を眺めて参考にしています。
夜に外出した時は、窓明かりがどう見えるか、建物はどのように暗くなるのかなど
夜景をできるだけ観察しています。
想像だけで描いていては、どうしても観念的で説明的な絵になってしまいやすいですから。


画面全体の雰囲気や充実感は、だいぶ出来てきました。
私の想い描いていたイメージに近づいているとは思います。
しかし、まだ状況説明に偏っているようにも見えます。
ここまで来ると、今後大きく画面が変化することはないでしょうが
何かもう一味足りないような気がしています。

いよいよ正念場にさしかかって来たようです。

-------------- Ichiro Futatsugi.■


12月20日 火曜日

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前回の更新から、あっという間に二ヶ月近くが過ぎ
気がつくと、すっかり年の瀬も押し詰まってしまいました。

現在、非常に慌しい日々を送っています。
実は年明け1月上旬に転居することとなりました。
その準備が最優先となっていて制作は完全に中断しています。
現在制作中の作品は50号と6号の2点のみ。
年内に仕上げたかったのですが、残念ながら年越しとなりました。
制作の再開は、おそらく2月からになると思います。

まずは50号の、岩の台地の街の進捗状況です。


前回10月28日の状態です。


こちらは11月上旬の状態ですが…

やはり、そうそう順調には進まないものです。
迷いが出たために意図的に放置していたのですが
引越しの準備に入ってしまったので、ずっと中断したままです。


もう1点は6号で、アッシジのサント・ステーファノ聖堂がモデルです。



一時は仕上がり直前まで行ったのですが気に入らず
大幅に修正して、現在は50%程度というところでしょうか。

ところで、今年4月に仕上げた「黎明」もサント・ステーファノ聖堂でした。


「黎明」 15号

鐘楼と針葉樹の配置がほとんど同じです。
実を言うと、今描いている6号が「黎明」になるはずでした。
最初10号で始めたのですが、事情があって下描きを終えた段階で15号に変更することになったのです。
中止した10号の下描きを消して別のものを描くのも惜しい気がして
別のイメージで、そのまま描き続けることにしました。
構図を変えて6号に縮小し、満天の星空という設定にしました。
「黎明」より早く描き始めたわけですから、中断また中断で、もう1年近くになります。


そして、最近仕上がった作品です。


「花霞」 10号M

今月上旬に仕上がったばかりです。
長野県安曇野にある大王ワサビ農園の脇に建つ農作業小屋です。
黒澤明監督の映画「夢」に登場する小屋です。



「常念」 8号F

これは11月に仕上げたものです。
長野県安曇野の顔とも言える常念岳です。
これも度重なる中断を経て、1年半もかかってようやく仕上がりました。

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さて、今年の更新は今日が最後です。
次の更新は、早くとも2月以降になろうかと思います。
書きかけの記事が、すでに10編ほど溜まっています。
本当はクリスマスの前後に3回に分けてアップしたかった記事がありました。
ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画「マドンナ・デル・パルト」に関するものです。
昨年の今頃にアップする予定だったのが延期になり、また再びの延期です。


今年は例年になく制作点数の少ない年でした。
まあ、たまにはこういうこともあるものです。
年頭からいろいろなことがあり、最後の最後で引越しが決まることになろうとは
昨年の今頃は、予兆があったとは言え、これほどまでとは想像もできませんでした。
かつてない激動の1年でした。

それでも、転居によって大きく環境が変わりますので
心機一転を目指すには絶好の機会となります。
何か大きなきっかけがないと、なかなか清水の舞台から飛び降りることができないものです。
少なくとも、心の中に溜まりに溜まった積年の垢を洗い流してくれそうな気がしています。
ハードディスクの中の不要なファイルやソフトを掃除するように
身の回りの物も、心の中のものも、思い切り良くバンバン整理しています。
その結果空き領域がグンと増え、私というポンコツPCの動きも少しは軽やかになってくれると思います。
それが今後の仕事にも良い影響を与えてくれるのではないかと、密かに期待もしているのです。


もうじき大晦日になります。
NHKの「行く年来る年」で日本各地の静謐な夜景を見ながら除夜の鐘を聞くと年末の実感が湧きます。
そして午前零時になると同時に初詣に出かけるのが恒例になっています。
一度だけサボったらバチが当たって辛い出来事があったので、それ以来欠かしていません。
いつもの神社への初詣も、いよいよ次回が最後になります。
永年のお礼も込めて、次回は少しお賽銭を奮発しようかな…。
初詣の楽しみの一つに参拝者に振舞われる甘酒があります。
私はお神酒ではなく甘酒をいただきます。
元旦の深夜は冷え込んでいて体が温まりますし、新たなる一年への力水のような気がしています。
転居先の近所にも二つ神社がありますが甘酒を振舞ってくれるのかどうか、まだわからないのが気になりますが…。


それでは、少し早いのですが週末はクリスマスですし

Buon Natale!!

そして

皆さんにも、私にも、来年は良い年でありますように!!

なお、喪中につき新年のご挨拶はご遠慮させていただきます。


-------------- Ichiro Futatsugi.■

インターネット不通のお知らせ

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転居に伴い、1月10日(火)より18日(水)午前中まで、我が家ではインターネットが使えなくなります。
我が家のネットはケーブルテレビ経由なのですが
移転工事の申し込みが遅くなり、18日まで工事予約が取れなかったためです…トホホ。

この間コメントをいただきましても、お返事ができませんのでご了承ください。
もちろん電子メール・ウェブメールもできません。

よろしくお願いいたします。

-------------- Ichiro Futatsugi.■

祝!友人の新ブログ開設

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リンクさせていただいています「イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!」の作者で
イタリア在住のshinkaiさんが、新たに別ブログを立ち上げられました。

「水彩画分室 ・ イタリア・絵に描ける珠玉の町、村」

「水彩画分室」と銘打っておられるように、shinkaiさんの描かれた絵画作品を紹介することに特化しています。
イタリアを中心にヨーロッパ各地を素敵な写真群で紹介され続けているshinkaiさんは元々テンペラを描いておられました。
ここしばらく絵から遠ざかっておられたようですが
最近になってまた描きたい気持ちが募り、爆発して、今では毎日描かれているそうです。

描きたい気持ちが抑えきれず、止むに止まれず筆を執るというのは、絵描きとしては正に理想的と言えます。
きっと本家ブログの記事のように、矢継ぎ早に素敵な作品を描かれていくことと、今からとても楽しみです。

shinkaiさん、おめでとうございます!!

-------------- Ichiro Futatsugi.■

その瞬間

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2011年3月11日午後2時46分過ぎ。
最初はゆっくりとした揺れでした。


私の暮らす千葉県北西部では震度3程度の地震は時々起こります。
その程度の揺れには慣れっこになっていますので
たいていは部屋の様子をじっと見つめるだけで、特に行動を起こすことはありません。
このあたりが震源地になる直下型地震もしばしばあり、その場合はドン!と揺れが始まります。
それでも、あの瞬間までは震度3〜4程度で収まっていました。

また地震かぁ…。

今日はゆっくりと揺れ始めましたから震源は遠いようです。
震度が3を超えたかなと感じたあたりで
いつもするように本棚を支えるために立ち上がりました。
震源地は東北か新潟か、どちらかだろうと予想しながら本棚に手を添えました。


余裕があったのはここまででした。


次の瞬間!
本棚を押さえていた手が一瞬フワッと本棚から離れました。

え?

うしろから見えない何かに引っ張られたかように、体が浮いたように感じました。

あ…

声が出ませんでした。
後から振り返れば何とも情けない限りです。
悲しいことに、一言声を上げることさえできませんでした。

どうせ、また震度3程度で済むさ…。
そうタカをくくっていた私の儚い予想など、いとも簡単に踏み潰しながら
ウルトラマン級の巨人が建物を鷲掴みにして、なりふりかまわず揺さぶり始めたかのようでした。
部屋の中では、何台もの掘削機が一斉に動き始めたような凄まじい音が鳴り響きました。
ダダダダダダダ!!
襲いかかってきた激しく小刻みな振動に、心臓の鼓動が一気に高まり、背筋に冷たいものが流れました。
揺れのせいではなく足がガクガクと震えています。

これが現実だという感覚は少しもありませんでした。
激しい振動の中でテレビか映画の画面をボーっと見ているようでした。

目に映るものは…
激しく揺れる家具、本棚から落下する本、将棋倒しに倒れるパネルの束、崩れ落ちる収納ケース…。
耳に入るものは…
建物の軋む音、家具の踊る音、物が落下する音、陶器やガラスの割れる音…。
目と耳だけが、冷徹な実況中継のように部屋の様子を脳に伝えてくるだけです。
経験したことのない永く強い揺れのせいで、目と耳以外は人体機能を停止してしまったかのようでした。

とうとう来たか!!

繰り返し、繰り返し警告されてきた東海大地震がついに起こったのかと。
私もこれで終わりかと思いかけました。
倒壊した建物の瓦礫の中に埋もれていく自分の姿を少しだけ想像しました。

まずい!まずい!まずい!まずい!…
見事なまでに、私の頭の中には「まずい!」という単語しか浮かびませんでした。
まずいのなら、じゃあどうする?という思考は欠片もありませんでした。

とにかく、異様に永く強い揺れでした。


しかしその割りに、いつまでたっても建物が倒壊しそうな兆しはありません。
それでようやく少しだけ冷静になることができたのでした。
最初はゆっくりした揺れだったから、やはり震源は遠いはず…。
東京近郊を震源とする東海大地震ではなさそうだ…。
東北か新潟か…。
それとも、静岡か紀伊半島沖か…。
もしそうだとしても、ここがこれだけ揺れているのだから…。
ここ千葉県北西部でも震度5は間違いなく超えている気がしました。
おそらく震度6はあるのではないか…。
それなら震源地は震度7か、それ以上…。

想像したくもない想像が否応なく頭に浮かぶばかりです。
嫌な想像に、体温が一気に下がって意識が半分どこかへ行ってしまったかのようでした。
かろうじて身体を支えている足の力が抜けてしまいそうになったのは
強い揺れのせいだけではないようです。

震源地はどこ?
どうなっている?
テレビのスイッチを入れたのは、震度が2程度に収まってからでした。
携帯電話も固定電話も、すでに不通になっていました。

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その後の凄惨な被災状況は改めて書くまでもありませんし、書くこともできません。
筆舌に尽くし難いという言葉の意味を初めて実感した気がします。

幸いなことに私も家族も無事でした。
千葉県北西部は大きな被害を免れたようで
電気もガスも水道も無事でした。
揺れが収まって窓から外を眺めると
道路に飛び出した人が数人立ち話をしていたくらいで、他はいつもと変わらぬ街並みがありました。
何事もなかったかのように、嘘のように静かでした。

しかし、この街並みの遥か彼方の東北地方には
壊滅して荒れ果ててしまった風景が広がっていると思うと
この一見平和そうな風景は本当に現実なのか不安になってきます。
もしかしたら、この見慣れた風景の方が夢なのではないか…。
これが夢なら、夢を見ている私はどうなったのか…。
そんな想いさえ頭をよぎります。

今回、室内に多少の被害が出ただけで人的被害はありませんでしたが
これは、あくまでも、たまたま。
偶然の結果にしか過ぎません。
よくぞ、まあ、ご無事で…。

でも、次は…。

-------------- Ichiro Futatsugi.■



2012年 4月30日 月曜日

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引越しから4ヶ月近くが経ちました。
仕事は本格的に始まっています。

前の部屋で暮らした時間が永かったせいだと思いますが
他人の部屋に居候しているような落ち着かない気分がしばらく続きました。
仕事を再開してからも、10分ほど描くと集中力が途切れて周りをキョロキョロ見回し
意味もなく、あっちにウロウロ、こっちにウロウロする始末です。
それで仕事を本格的に再開するのがすっかり遅れてしまいました。

新しい仕事場は和室の6畳。
前の仕事場はフローリングの6畳でしたので広くはなりませんでしたが
襖を隔てて隣接するリビングも一時的な仕事場として使えますので、特に不足はありません。



新しい仕事場の様子です。




仕事場の壁には、昔公募展に出品していた際に使ったパネルを裏返して置いています。
横幅が2m20cmあり、その桟にピンを並べて打って制作中の作品をかけているのです。
不安定なように見えますが、東日本大震災の震度6の揺れでも1点も落下しなかった優れものです。


新たに始めた作品は4点。
イタリア・アッシジの水飲み場(15号)
イタリア・アマルフィのドゥオーモの夜景(10号)
長野県諏訪大社の十間廊(10号)
イタリア・フィレンツェにあるシエナ派の彫刻の天使像(8号)

昨年から持ち越しになっているものは2点。
イタリア・架空の岩の台地の街(50号)
イタリア・アッシジのサント・ステーファノ聖堂の夜景(6号)
これらは仕上がり間近なのですが、その後あまり進んでいません。

それぞれの作品の詳細・制作過程は
連休明けから折に触れて掲載して行こうと思っています。

今年10月には長野県松本市で隔年開催している個展があります。
もう5月ですので本腰を入れて制作せねばなりません。
新しい環境で、だいぶ気分も変わってきましたので
それがどのような影響を作品に与えるのか…。

楽しみでもあり、怖くもあり。

-------------- Ichiro Futatsugi.■



2012年 5月11日 金曜日

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現在制作中のアッシジの水飲み場を描いた作品の、今日までの制作過程です。
大きさは15号F(横65.2cm 縦53cm)


 鉛筆による下描き


今回制作を始めた4点の内、イタリアを題材にした3点はすべてイタリア在住のshinkaiさんが撮影された写真を基にしています。
すでの何度かご紹介していますが、shinkaiさんはブログ「イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!」の作者です。
3年ほど前、たまたま辿り着いたshinkaiさんのブログの中の1点の写真に目が釘付けになりました。
それがアッシジの水飲み場を写したものだったのですが
一目見た瞬間「これだ!」と、全身が総毛立つような衝動を覚えたものでした。

その写真が載っている記事は、 http://italiashio.exblog.jp/5203298/
その中の、◆町点描 5の写真です。
写真をご覧になれば、なぜ私がこの場面を選んだか理解していただけるのではないかと思っています。

そして、この場面はshinkaiさんご自身がすでに絵に描かれています。
その作品画像は、shinkaiさんのもう一つのブログ「水彩画分室・イタリア・絵に描ける珠玉の町・村」に。http://blog.goo.ne.jp/suisaishiho/c/e17d8a93792422873e3a59b7396c2e8c

この場面は、私が今まで描いてきたイタリアの風景の中で五本の指に入るほど気に入っているモチーフです。
これを描くことをshinkaiさんに了承していただき、さらに大きなサイズの写真を送っていただき
私はウキウキ気分で制作を開始することができています。
改めてshinkaiさんに感謝を申し上げます!


さて下描きですが、私はスケッチやデッサンとは少し異なった描き方をします。
もちろんデッサンであることには違いないのですが、彩色のためのガイドでもありますので少々説明的に描いています。
実際にはぼんやりと形が見えているところも、あえてはっきり描いています。
例えば、背後の壁や手前の道の石はどれも同じような強さで描いていて、絵としては一本調子に過ぎます。
この作品の最大のポイントである光や物の陰影も全部は描いていませんので、より説明っぽさが助長されてしまっています。
重々わかっているのですが、私にとって今後のためにはこの方が都合がいいのです。



 彩色1

ざっと一通り色を置いた状態です。
混色して作った茶系の色を2色だけ使っています。
絵具の粒子は最初から11番です。
私は胡粉や黄土などの細かい粒子の絵具で下塗りすることは、必ずしも必要ではないと考えています。
どのような下塗りを施すかは、自由に選択すべきだと思います。

水盤のある四角い壁の右端の一番明るいところは若干斜めになっていますが
もう少し垂直に近くなるように修正した方が安定感が増すように思います。
うしろの壁の石の形は今一つ単調ですので、今後描きながら修正する必要があります。

この段階を「彩色1」としましたが、実際はここまでが下描きだと思っています。
どんな色調で行こうか、とりあえず試してみたに過ぎません。
これからが本格的な彩色となります。

-------------- Ichiro Futatsugi.■

2012年 5月14日 月曜日

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シエナ派と言えば…
イタリア・シエナ周辺でルネサンス期に活動した絵画の一派という認識があると思います。
シモーネ・マルティーニや、兄ピエトロと弟アンブロージョのロレンツェッティ兄弟などが代表格で
私もシエナ派と言われれば絵画だけを連想してしまいます。
しかし、シエナ派には画家だけではなく彫刻家もいることを最近知りました。
シエナのカンポ広場にある「ガイアの泉」の作者ヤコポ・デッラ・クエルチャ。
10代のアメデオ・モディリアーニが感銘を受けたティーノ・ディ・カマイーノなどの作家がいます。

それらシエナ派の彫刻を知るきっかけとなったのは
イタリア・フィレンツェのパラッツォ・ヴェッキオに展示されている大理石の天使像でした。
天使像というものは、絵画・彫刻をはじめ、星の数ほどあるでしょう。
それらの中で、今私が最も愛してやまないのがその天使像なのです。
夜陰に紛れてパラッツォ・ヴェッキオに忍び込み、盗み出したいくらい好きなのです。


 鉛筆と薄墨による下描き

作品の大きさは8号(縦45.5cm 横35cm)

実は私は、この天使像の実物を一度も見たことがないのです。
天使像との出会いは「アッシジの水飲み場」と同様、イタリア在住のshinkaiさんのブログです。
この作品も、shinkaiさんが撮影された写真が唯一の資料です。

天使像の作者はティーノ・ディ・カマイーノ。
shinkaiさんが調べてくださったところによると
元々はフィレンツェのドゥオーモ、サンタ・マリーア・デル・フィオーレ聖堂にあったもので
1309年からフィレンツェの司教を務めたアントーニオ・オルソという人物の記念墓の一部だったそうです。
その記念墓は1321年に製作されたものだそうですが
その後、どういう理由からか一部が解体され、天使像はパラッツォ・ヴェッキオに移されたということのようです。

この天使像の写真は、shinkaiさんの「イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!」の中のこちらに。
http://italiashio.exblog.jp/10363547/
◆ヴェッキオ宮 22 の写真です。


一度も見たことのない、写真だけが頼りの作品ですので
まずは客観的な描写で対象を理解することから始めました。
ですから、ちょっと石膏デッサンのような描き方になっています。

左腕(向こう側の腕)は一部破損しているらしく形が不自然です。
これは今後修正する必要がありそうです。


 彩色1

まずは背景から色を置きました。
絵具は岩黒の13番と方解末の白(びゃく)を混ぜたグレーだけです。
天使本体は、まだほとんど下描きのままです。
下描きと比べると画面が青味を帯びていますが、これは写真のせいです。

実物は壁のすぐ前に置かれているのですが
背景を壁にするか空間にするか、まだ迷っています。

天使の頭の周りには実際にはない光輪を薄っすらと描き入れてみたのですが…。

さて、天使本体はどうしましょうか…。
700年近い歳月を経た大理石です。
14世紀以降のフィレンツェの歴史をつぶさに眺めてきた由緒ある大理石像なのです。
ヨーロッパは石の文化。
まずは石であることをしっかり認識することから始めましょうか…。

-------------- Ichiro Futatsugi.■

2012年 5月26日 土曜日

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◆イタリア・アッシジの水飲み場

ここ2週間ほどの進捗状況です。


 彩色2

前回に引き続き、とりあえず色を重ねていくことを最優先した作業です。
壁の石は、一応の形を決めるための説明的な描写が主体で、まだどれも同じような強さです。
この作品のポイントとなる斜光線は、この段階ではほとんど無視しています。


 彩色3

右からの斜光線を入れ始めました。
とりあえず、何処を暗くして何処を明るするかを探るための作業をしています。
本当は手前の坂道の左側にも光が当たっていて明るいのですが、坂道はすべて陰にするつもりです。


 彩色4

この段階から刷毛を使って、大きな明暗の分布を決めていきます。
刷毛を使い始めましたので、細部の形が潰れ始めています。
刷毛を使った部分と使っていない部分がありますので、全体の統一感も弱くなってきています。

彩色3の方が良いんじゃないの?と思われた方もいらっしゃると思いますが
途中で画面が崩れてしまうのは私の常です。
順調に行き過ぎることへの警戒感が常にあり、わざと崩してしまうこともよくあります。
このあたりからが本当の絵作りです。
彩色3の段階までは下地作りに過ぎないと考えています。
これからは細部の形が潰れることは覚悟の上で
描写よりも私の頭の中のイメージ・印象といったものを重視していきます。
もちろん必要に応じて細部も描き起こしていきます。


◆イタリア・アマルフィのドゥオーモ


 鉛筆による下描き

イタリア・アマルフィのドゥオーモ(中央教会)です。
これはその入口の一部で、ナルテクスと呼ばれる玄関間です。
ファサードからは少し出っ張っており、回廊のようになっています。

大きさは10号(53cmx39cm)

これは夜景にします。
ナルテクスの内部だけが照明に照らされています。
すでに彩色は相当進んでいますが、詳細はまた後日に。


◆諏訪大社上社前宮の十間廊(じっけんろう)


 彩色1

長野県諏訪市と茅野市の境目あたりに鎮座する諏訪大社。
4つある宮の内、最古とされる前宮(まえみや)にある十間廊という社殿です。

大きさは10号(53cmx35cm)

これはすでに下描きを終えて彩色に入った直後の状態です。
まずは着彩スケッチ風に、いたって常識的に描き始めています。

-------------- Ichiro Futatsugi.■

2012年 5月31日 木曜日

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◆イタリア・アマルフィのドゥオーモ

彩色に入ってからの制作過程です。
前回ご紹介しましたように、これは夜景にします。
私は20年前にアマルフィを訪れていますが、夜景は取材してありませんでした。
そこで、この作品も「アッシジの水飲み場」「シエナ派の天使」と同じく
イタリア在住shinkaiさんの撮影された写真を基にしています。

アマルフィの街に関してはshinkaiさんのブログ「イタリア・絵に描ける珠玉の町・村 ・ そしてもろもろ!」をご覧ください。

アマルフィの町に、夕暮れが迫る頃
http://italiashio.exblog.jp/15382581/

n.1 大聖堂の煌めきを ・ アマルフィ 
http://italiashio.exblog.jp/15398969/


前回、鉛筆による下描きをご紹介しましたが
早速shinkaiさんより「人物を入れたのは珍しいのでは?」というコメントをいただきました。
ご指摘の通り、風景に点景として人物を入れた作品は今までに1点しかありません。
shinkaiさんの写真に観光客の姿がシルエットで写っていたのですが
それを見た瞬間に、この情景には人物を入れた方がいい!と即決したという次第です。



 彩色1

モザイクの装飾文様は焦茶の11番で描いておき
その後全体に明るいウグイス色の11番を、わざと塗り斑をつけながら置いています。
照明に照らされたナルテクス(玄関間)の内部は薄黄の白、方解末の13番、水色白群などを使っています。

建物の上部に行くに従って右肩下がりのパースをつけたのですが、これははっきり言って余計でした!
その影響もあって、聖堂全体が右に傾いて見えますね。
これは今後修正が必要です。
明るいナルテクス内部を除いて他は暗く落としてしまいますので、まあ、このままでOKとも思いますが…。



 彩色2

金茶の11番、岩茶の11番を全体にかけたところです。
これは刷毛や平筆ではなく、普通の丸筆を使っています。



 彩色3

青味・緑味がかったグレーを全体にかけて、思い切って明度を落としたところです。
刷毛で暗い色をかけましたので、聖堂表面のモザイク文様がだいぶ見えなくなってしまいました。
予想以上に消えてしまったところもありますので、今後はまずモザイクの描き起しから始めます。
あるいは、消え過ぎた部分の表面を洗ってみるのもいいかもしれません。


◆諏訪大社上社前宮の十間廊(じっけんろう)

十間廊という名前は長辺の間口が十間あることから来ていますが、短辺は三間の単純な四角い社殿です。
絵にしようとは、あまり思えないような特徴のない建物です。
十間廊は直会殿(なおらいでん)とも呼ばれています。
直会とは、神様へのお供え物を参列者が分けて飲食することで
供え物をするという意味では神楽殿と似たような役割の社殿だと言えます。

諏訪大社は御柱祭が有名ですが、かつては御頭祭(おんとうさい)という神事が御柱祭以上に重要なものでした。
十間廊はその御頭祭の舞台で、古代は鹿の生首(!)が75頭(!)も供えられたと言います。



 彩色2

まだ描いていなかった四手(しで:紙垂とも書く)を描き入れました。
下描きの延長として相変わらずスケッチ風に描いていますが、そろそろ下準備は終わりです。


◆シエナ派の天使

14世紀シエナ派の彫刻家ティーノ・ディ・カマイーノの天使像。


 彩色2

薄めた茶白緑を全体に点描風に何度も重ねています。
茶白緑というのは白っぽい渋い緑色で微粒子の絵具です。
それ以外は何もしていません。
下半身が若干ヌルっとしているように感じます。
もう少し石のカチッとした手触りが必要です。

-------------- Ichiro Futatsugi.■

2012年 6月8日 金曜日

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◆シエナ派の天使


 彩色3

天使像本体の描き起しを進めています。
まずは白と焦茶の色鉛筆で、ザックリとした大味の調子をつけていきます。
特に下半身がヌルッとしてきていましたので、大理石らしい肌触りを目指します。

そろそろ背景の方針も決めなければなりません。
実物は壁のすぐ前に置いてあるため、像の右側には隈取のような影があります。
私はこの影を生かしたいと考えているのですが、隈取は背景との距離感を圧縮してしまいます。
そのために現段階では天使像は壁に埋もれたように、半レリーフのように見えています。
現実の壁のように描くか、何もない空間のように描くか、どちらにするか…。
しかし、その二者択一とも限らないのです。
どちらとも言えない曖昧模糊とした表現もありえます。
大事なことは、彫刻と釣り合いがとれるような密度と厚みと深みのある背景であることです。


◆イタリア・アマルフィのドゥオーモ


 彩色4

消えかかったモザイク文様を描き起こし、全体に夜霧のような調子を薄くかけたところです。
描き起したモザイク文様がまた薄くなりましたので、再度部分的に描き起こすことになります。
描いたり消えたりを繰り返しながら、ちょうどいい状態を探って行きます。


◆諏訪大社上社前宮の十間廊(じっけんろう)


 彩色3

私のイメージする雰囲気にだいぶ近づいては来ましたが…。
ここまで比較的ザックリとした描き方で進めてきましたので
この辺で形を締めるために描き起こしをしておきます。



 彩色4

形重視で描き起こしていますので、やや硬く冷たい感じになってきました。
色から受ける印象も弱くなりました。
少し後戻りしたようにも見えますが、こういうプロセスも必要な場合があるのです。
急がば回れ!


ところで…
「アッシジの水飲み場」は約一週間ほど休止しています。
特に気に入ったモチーフで、気持ちが逸ってしまうために少々冷却期間を置いてみました。
そろそろ再開しようと思っています。

そして、昨年12月以来半年間中断していました50号の「岩の台地の街」を再開しました!
そのあたりは、また次回にでも。

-------------- Ichiro Futatsugi.■

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