諏訪湖で知られる長野県諏訪市に隣接する茅野市(ちのし)。
その郊外にある御射鹿池(みしゃかいけ)の秋景をモデルにした作品が仕上がりました。
途中経過はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/5d2e0bd1033d199d8c695f998b7fcb66
この池は八ヶ岳山麓の一角にあり、縄文時代の代表的な遺跡「尖石遺跡(とがりいしいせき)」が近くにあります。
御射鹿池の特徴と言えば、やはり対岸にある浮島状の岸辺と
背後に生い茂る落葉松林の中に点在する白樺や常緑樹が織りなす景観でしょう。
”鹿を射る”というちょっと物騒な名前は
諏訪大社に奉納する鹿を狩った「御射山御狩(みさやま みかり)神事」に由来するようです。
池周辺に広がる八ヶ岳の裾野が、かつては鹿を狩るための神聖な土地だったとのことです。
鹿を捧げる神事とは、諏訪大社上社前宮に伝わる奇祭「御頭祭(おんとうさい)」のことでしょう。
古代は72頭の鹿(の首)が捧げられたそうです。(現在は剥製を使用)
諏訪大社の歴史と神事に興味のある方には
諏訪大社上社の近くにある神長官守矢資料館(じんちょうかん もりやしりょうかん)をお薦めします。
神長官とは、江戸時代まであった事実上最高位の神職の名称で
守矢とは、代々神長官を務めた一族の苗字です。
因みに資料館をデザインしたのは、茅野市出身の異才の建築家 藤森照信氏です。
諏訪の名は「古事記」にも登場します。
有名な出雲の国譲り神話には、出雲の支配者オオクニヌシの子で最後まで抵抗したタケミナカタが
戦いに破れて科野国(信濃国:長野県)の州羽の海(諏訪湖)に逃げ延びたとあります。
そういう深い歴史と伝統に彩られている諏訪の地ですが
御射鹿池は昭和初期に農業用溜池として作られたものですから
諏訪大社の神事とは直接関係があるわけではありません。
現在は、特にカメラマンに人気の高い景勝地になっていますが
昭和初期に池の造成に関わった人々は
現在の人気ぶりを想像だにしていなかったことでしょう。
◆ 御射鹿池・秋黄 (みしゃがいけ・しゅうこう) 日本画 20号 ( 72.7 × 50 cm )
![]()
================
長野県松本市のJR松本駅前にほど近い 老舗百貨店「井上」の本店 が
来年2025年3月末をもって閉店することになったそうです。
系列店で東筑摩郡山形村にある「アイシティ21」に統合されるとのことです。
1996年の私の初個展が「井上」のギャラリーで
前回の記事の通り、3月に11回目の個展を開催させていただいたばかりでした。
長いこと本当にお世話になりました。
![]()
「井上」ロゴ
「井上」ホームページ
https://www.inouedp.co.jp/
昭和30年代の私の幼少期には、出身地である旧・南安曇郡梓川村(現・松本市梓川)から
13キロ離れた松本市街に出かけることは一大イベントでした。
松本電鉄(現・アルピコ交通)のボンネットバスに揺られ
上高地から流れ下る梓川を渡って”大都会”松本へ行く機会は
年に数回あるかどうか、という程度だった記憶があります。
当時の「井上」は、現在地とは異なり
市街を東西に横切る女鳥羽川(めとばがわ)に架かる千歳橋(せんさいばし)近くの
六九商店街(ろっくしょうてんがい)という、当時松本で最も賑わっていた通りにありました。
屋上の遊園地・最上階の大食堂などは、幼い私にとって夢のような世界でした。
バスで当時の「井上」に行くには、千歳橋近くの最寄りの停留所で降りるため
松本駅前の終点のバスターミナルまで乗ることは滅多にありませんでした。
当時のバスターミナルは巨大な木造の車庫のような建物で
その跡地が、現在の「井上」の所在地なのです。
幼い頃から馴染みがあり、松本の代表的な風物が、また一つ姿を消します。
松本市街は、50年の歳月を経て
懐かしい街と言うより、知らない街に近くなってしまいました。
------------- Ichiro Futatsugi.■
その郊外にある御射鹿池(みしゃかいけ)の秋景をモデルにした作品が仕上がりました。
途中経過はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/5d2e0bd1033d199d8c695f998b7fcb66
この池は八ヶ岳山麓の一角にあり、縄文時代の代表的な遺跡「尖石遺跡(とがりいしいせき)」が近くにあります。
御射鹿池の特徴と言えば、やはり対岸にある浮島状の岸辺と
背後に生い茂る落葉松林の中に点在する白樺や常緑樹が織りなす景観でしょう。
”鹿を射る”というちょっと物騒な名前は
諏訪大社に奉納する鹿を狩った「御射山御狩(みさやま みかり)神事」に由来するようです。
池周辺に広がる八ヶ岳の裾野が、かつては鹿を狩るための神聖な土地だったとのことです。
鹿を捧げる神事とは、諏訪大社上社前宮に伝わる奇祭「御頭祭(おんとうさい)」のことでしょう。
古代は72頭の鹿(の首)が捧げられたそうです。(現在は剥製を使用)
諏訪大社の歴史と神事に興味のある方には
諏訪大社上社の近くにある神長官守矢資料館(じんちょうかん もりやしりょうかん)をお薦めします。
神長官とは、江戸時代まであった事実上最高位の神職の名称で
守矢とは、代々神長官を務めた一族の苗字です。
因みに資料館をデザインしたのは、茅野市出身の異才の建築家 藤森照信氏です。
諏訪の名は「古事記」にも登場します。
有名な出雲の国譲り神話には、出雲の支配者オオクニヌシの子で最後まで抵抗したタケミナカタが
戦いに破れて科野国(信濃国:長野県)の州羽の海(諏訪湖)に逃げ延びたとあります。
そういう深い歴史と伝統に彩られている諏訪の地ですが
御射鹿池は昭和初期に農業用溜池として作られたものですから
諏訪大社の神事とは直接関係があるわけではありません。
現在は、特にカメラマンに人気の高い景勝地になっていますが
昭和初期に池の造成に関わった人々は
現在の人気ぶりを想像だにしていなかったことでしょう。
◆ 御射鹿池・秋黄 (みしゃがいけ・しゅうこう) 日本画 20号 ( 72.7 × 50 cm )

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長野県松本市のJR松本駅前にほど近い 老舗百貨店「井上」の本店 が
来年2025年3月末をもって閉店することになったそうです。
系列店で東筑摩郡山形村にある「アイシティ21」に統合されるとのことです。
1996年の私の初個展が「井上」のギャラリーで
前回の記事の通り、3月に11回目の個展を開催させていただいたばかりでした。
長いこと本当にお世話になりました。

「井上」ロゴ
「井上」ホームページ
https://www.inouedp.co.jp/
昭和30年代の私の幼少期には、出身地である旧・南安曇郡梓川村(現・松本市梓川)から
13キロ離れた松本市街に出かけることは一大イベントでした。
松本電鉄(現・アルピコ交通)のボンネットバスに揺られ
上高地から流れ下る梓川を渡って”大都会”松本へ行く機会は
年に数回あるかどうか、という程度だった記憶があります。
当時の「井上」は、現在地とは異なり
市街を東西に横切る女鳥羽川(めとばがわ)に架かる千歳橋(せんさいばし)近くの
六九商店街(ろっくしょうてんがい)という、当時松本で最も賑わっていた通りにありました。
屋上の遊園地・最上階の大食堂などは、幼い私にとって夢のような世界でした。
バスで当時の「井上」に行くには、千歳橋近くの最寄りの停留所で降りるため
松本駅前の終点のバスターミナルまで乗ることは滅多にありませんでした。
当時のバスターミナルは巨大な木造の車庫のような建物で
その跡地が、現在の「井上」の所在地なのです。
幼い頃から馴染みがあり、松本の代表的な風物が、また一つ姿を消します。
松本市街は、50年の歳月を経て
懐かしい街と言うより、知らない街に近くなってしまいました。
------------- Ichiro Futatsugi.■